「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「10年間」

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はてなブログ10周年特別お題

10年で変わったこと・変わらなかったこと

 

昨日の記事でチラッと書いたけれど、

10周年記念の企画に応募してみた。

 

レッドスター10個をもらえるというのは面白い。

皆さんのブログに対して目に見える形で応援のメッセージを送ることができる。

それがはてなブログにおけるスターの役割だと思う。

 

照れ隠しみたいだけれども、

何かしら理由の必要な性分なのだ。

 

昨日の記事を応募フォームから再投稿すればそれで良かったみたいだけど、

なんだかそれが嫌だったので改めて筆を執る。

 

「10年間で変わったこと」

 

仕事が変わった。

心も体が変わった。

世界も世界との関わり方も大きく変わった。

 

むしろ変わらないことを探す方が難しいくらいだ。

 

その間で2度の転職をして、

当時と全く変わらない付き合いをしている人間関係というのも親くらいかもしれない。

いや、改めて考えると親との関係すらも変わっているのかもしれない。

 

何もかもが変わってしまったように思う。

 

5年前にパニック障害と診断されてから、

私に見える世界は大きく形を変えた。

 

あらゆるものを手放して、もう一度価値観を構築しなおして今に至る。

生活を取り戻すどころか、以前よりも活動の幅は大きく広がり、世界の広さを実感している。

 

しかしながら、疲れやすく無理の効かない体になってしまった。

先に進みすぎないように体がシグナルを送ってくるのだ。

 

元の体に戻ることはできない。

 

それでもメンタルをやってしまったところで、

「悪いことばかりではない」ということは、

身をもって言えることだと実感している。

 

自分の人生の責任は自分で取るしかない。

 

どんなに理不尽な目にあったとしても、

誰かが代わりに責任をとってくれるわけではないのだ。

憎しみに囚われていたら、その囚われた時間を浪費することになる。

 

だから過去を背負って、

しっかりと大地を踏み締めて、

鉛のように重い足を一歩、また一歩と踏み出し続けるしかない。

 

その先には「必ずしも希望が待ち受けているわけではない」けれども、

それでも「必ず希望が待ち受けている」と信じて進むこと、

先行きの見えない今の時代には、そういう「力強さ」が求められている。

 

「生きること」それ自体にエネルギーが必要なのだ。

それは無理の効かない体になって特に感じること、

 

この10年間で、私は別の人間に生まれ変わったかのように多方面に活動的になった。

生きることに対する不安感が私をそうさせるのかも知れない。

 

たとえ寿命が短くなったとしても、

ただ漫然と時を過ごすよりは、私にとってはそっちの方がいいのだろう。

 

ある程度社会は成熟して、

命の大切さを説く機会は増えてきているけれど、

まだまだ「命と使い方」にまで議論は及ばない。

 

だけれども昨今の若者たちは、就職する企業の決め手として「社会貢献」をいの一番に挙げるらしい。

 

世界も変わってきているのだ。

「どう生きるのか」

それを真剣に考える時代へと足を踏み入れている。

 

色んな意味で人が兵隊だった時代から、

人が尊厳を主張する時代へ、

 

使う人と使われる人に分かれていた時代から、

共存、共生する時代へ、

 

そんな渦中にいるわけだから、

私も変わるのは当然だろう。

 

翻って変わらないこと、

 

ヤクルトスワローズのファンということは変わらない。

これは私を形成するアイデンティティの中で、思いのほか大きなものなのかも知れない。

 

「10年間」

 

これだけあらゆることが変わってしまうと、

私はこの10年で何かを貫いた経験があるのだろうかと疑問に思う。

 

これからの10年はそういうことを意識して、

軸のある筋の通った人間であることを意識した方がいいのかも知れない。

 

足りないものばかりに想いを馳せていると、

取ってつけたように経験ばかりを吸収して中身のない「つぎはぎ人間」になってしまう。

 

一度手放した価値観のうち、

もう一度拾い集めたものたちは、きっと私にとっては重要なものなのだろう。

 

そこを軸として筋を通すこと、

それがこれから先、私がすべきことなのかもしれない。

 

10年前には想像もしていなかったところにいる。

10年後にはまた、想像もしていなかったところにいるのかもしれない。

 

それでも私が私であり続けるために、

自分に嘘をつきながら生きることだけはしたくないと思う。

 

そのためには「実力」と「人格」が必要、

少なくとも自分にできる努力だけは怠らずに進みたい。