「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「支配されたい」女性たち

f:id:tureture30:20210418091321j:image

 

私の「ジェンダー」に対する興味は尽きないのだろうか。

またも男だの女だのについて考察を始めようとしている。

まあ、興味のあるうちは続けていればいい。

 

この手の記事を書く時には予防線を張っておく。

私はどちらかといえば「加害者性としての男性性」に思い悩むフェミニストだ。

tureture30.hatenadiary.jp

 

紳士気取って、

身体的弱者としての女性の権利は守られるべきだと考えている。

決して女性を貶めたいわけではない。

 

さて、表題だが、

昨今は「男性性」の役割が変わってきている。

そういう風潮が強い。

 

自由至上主義

 

抑圧的なものに対する嫌悪は高まり、

その代表格である「父性」は「母性」に食われて、

父親は家庭における「家父長的な立場」を失った。

 

父親たちの多くは媚びることや、

子供と友達関係を結ぶことで、

何とか「居場所」を確保している。

 

教師にしても同じだ。

 

少しでも手を出そうものならば、

「虐待」だ「ハラスメント」だと責められる。

それに委縮して「指導」することができない。

 

子供にしたってバカではない。

自分の立場が高いことを理解しているのだ。

だから、その立場を享受して世の中を舐めるようになる。

 

そして「幼稚的全能感」を捨てることができない、

そんな「子供大人」が蔓延るおかしな世の中になる。

 

話を戻そう。

「支配されたい」女性たち、

 

「支配されたい」

そうは言っても、それには難しい枕詞がつく。

「自分よりも優れた男性性に」支配されたいと願っているのだ。

 

先日結婚した後輩くんのお相手、

そのお相手にも何度か会ったことがあるのだけれども、

かなりの年上が好みのようだ。

 

だから甲斐性はあっても年下の後輩君、

どうやら彼女は彼のことを「頼りない」と不満に思っているとのこと、

それでも悩んでこじれて、その挙句に結ばれた。

 

生活ぶりを聞いていると、

完全に尻に敷かれている。

 

要は「支配されること」を望んでいたけれど、

「支配する」側に落ち着いたのだ。

 

ここから導き出される彼女の性質として、

自分より優れた男性からは「支配されたい」

だけれども、そうでない場合は「支配したい」

そういう欲求が見え隠れする。

 

いきったヤンキーがモテたり、

DVを受けながらもその相手と離れられなかったり、

 

「支配されたい願望」

 

世間には「強い女性」が増えて、

そういう女性像を「ニューノーマル」と持て囃しているけれど、

「支配されたい」

そういう願望は色濃く残っているのかな。

 

f:id:tureture30:20210418091226j:image

 

恋愛工学には、

非モテコミット」という言葉がある。

 

女性に不慣れな男性が、

差し出せるものがないからと言って、

「優しさ」を前面に押し出しているうちに、

搾取されるだけされて捨てられる。

 

女性は一般的に自分より下だと思う男性を恋愛対象にはしないのだ。 

ただ都合のいいだけの男は自ら進んで「非モテ」に「コミット」しているという揶揄だ。

 

だから渡部がモテて大島、いや児島はモテない。

今は評価が逆転しているけれど、

そういうことだったのだろう。

 

私にコミュニティの中で女性からの一定の需要があるのは、

おそらくその中で一定の立場を獲得しているからだ。

 

一見そうは見えない、

「優しいだけが取り柄」の冴えない男、

だけれども、その立場を見て「いけるやん」ってなる。

 

そこを入り口にして、

私の柔和な立ち振る舞いに触れて、

女性たちは私の虜になる。

 

私はなんとも罪な男だな。

そういうことにしておこう。

 

簡単な話、

男は「モテる」から「モテる」のだ。

 

コミュニティ内での価値が上位だからこそ、

その男を獲得したいと女性たちは群がる。

 

「モテる」から男としての価値が生まれ、

さらに「モテる」ようになる。

 

昔はそれが単純に「身体能力」だったのかもしれないけれど、

今は「経済力」が取って代わる。

「稼ぐ力」の高いことが男としてのステータスになる。

女性は本能的にそこに「優秀さ」を見出して惹かれるのだろう。

 

少し前のこと、

「ちょっと違う」と言って、

私をフった女性から連絡がきた。

 

「惜しい」とでも思ったのだろうか。

それとも並行して進めていた相手とうまくいかなかったのだろうか。

 

あいまいな態度のままやり取りを続けていたけれど、

何がしたいのかは一向に示してこない。

誘ったところではぐらかされて会うまでには至らない。

結局、進まない関係に嫌気がさして、

私のほうから連絡を絶った。

 

「ズルい女」

 

それを笑って許すだけの器量が私にはないのだろう。

女性の「不誠実さ」に傷つけられすぎて拒否反応が生じる。

 

すべての女性がそうだとは言わないけれども、

結局女性は「不安を解消するため」の「居場所」が欲しいのだろう。

 

時代は変わっても、女性の底にある、

そういう「本能」は変わらないのかな。

 

人は「居場所」がないことには耐えられない。

 

そういう不安を解消するために、

「結婚」というものがあるのかな。

 

「結婚」というものは、

それに代替する手段を持たない人に、

「居場所」を与えるセーフティネット

 

そうやって機能してきたけれど、

その「ネットの網目」は時代とともに大きくなっているようだ。

だからそこにも引っかからない私のような哀れな男が増えている。

 

「ろくでもない男」でも相手が途切れない。

 

本当は「不安を解消するため」に、

優れた男に支配されたいけれど、

支配できるほど愚かであれば、

「この人は私がいないとダメだ」って、

それはそれで「居場所」を確保できる。 

 

そういうことなのかな。

 

それは男も同じか。

人は「居場所」を手に入れるために必死なのだ。 

 必死で生きているのだ。

 

誰を傷つけたって仕方ないって、

後付けで自己正当化して、

傷つけた相手からは目を背けて、

手に入れた「幸せ」を享受し続ける。

 

なんとも浅ましく哀れ、

それが人間という生き物なのかな。