ある意味では「天井が見えてくる」
それが大きな要因なのかもしれない。
歳を取れば取るほどに、これまで長い子と所属してきた人類というグループに対して、帰属意識が高まるのだろうか。
だから、人類というグループに対して貢献したい、
そういう思いから「誰か」のために動きたくなる。
そういうことなのかもしれない。
あるいは、自分の生きた証をこの地に残したい、
そういう思いもあるのかもしれない。
私の周りにいる少し年上の方たちは、こぞって私を含む若者たちを支援してくれる。
そういう土壌に対して有難いと思う気持ち、
いつまで経っても忘れずにいたい。
人はともすれば、身勝手になりがちだ。
楽な方向にばかり流れるのが人の性質と言っても過言ではない。
多くの場合、自己承認欲求を簡単に満たすことは難しい。
そういう状況が長く続くと、自己承認欲求が満たされずに、長いこと彷徨うモンスターになりかねない。
自分で自分のことを適度に認めてあげられる人ほど、魅力的な人が多いと私は感じる。
そのためには、幼少期に自己肯定感を高める必要があるのだろうか。
子供の頃は、自分が中心だと思っていた方が幸せだ。
そこから徐々に挫折を繰り返して、角を落としていく。
その作業が綺麗であればあるほどに、素敵な大人へと成長していくのかもしれない。
「人は一人では生きていけない」
だからこそ、人とのつながりに喜びを感じることができる。
私たちは、人の中で揉まれて、人の中で磨かれるのだ。
長く生きること。
善く生きること。
私たちは、もっと「命の使い方」に目を向けるべきではないだろうか。
この世に生を受けた瞬間の産声が、
嬉し涙なのか。それとも悲し涙なのか。
それを決めるのは自分でしかない。
最後に幸せだったと思うために、
私たちは最後の瞬間まで、必死に幸せを追い求めて生きているのだ。