「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「結婚すること」によって得た感情

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いまだに結婚したことに対する実感は薄いのだけれども、

私が結婚することで得た「感情」を考察したい。

 

一番幸せを感じた瞬間は、付き合った直後だったかもしれない。

 

それまで私は15年近く恋人がいなかった。

婚活をしていた時期は、奇跡的にうまくいかないことばかりだったから、単純に恋人ができたことが嬉しかった。

 

そこから二人の距離は徐々に縮まっていく。

好意は深まり、家族に近い愛情へと変わり、私たちの場合は、その後に異性としての愛情を育んだように感じる。

 

全てが新鮮だった。

乾いた心に水を注ぎ込まれるような感覚。

 

潤いを取り戻した私の心は、KURE556を使用したかのように、課題に対して円滑に取り組めている。

それまでは、課題をくぐり抜けるたびに、擦れて痛かったのだけれども、どこかスルリとくぐり抜けることのできるような感覚だ。

 

先に進むことに対して、深く考えることは無くなった。

課題を「やらなければならないこと」と捉え、思考停止しながら、次から次へと増えていくタスクをこなすことに精一杯だ。

 

学生時代は、次から次へと課題が与えられていた。

年単位で環境は大きく変わり、試験によって成果は数値化される。

わかりやすく、先に進んでいる実感を得ることができたのだ。

 

しかし、社会人となり数年もすると、あまり大きな変化は生じなくなる。

職務内容も、環境も、自ら大きなエネルギーを費やして一歩を踏み出さない限りは、少しずつ固定化されていく。

 

その環境から変わることなく10年もすれば、多くの場合、どんなにプライベートが忙しくても、どこか「頭打ち」のような感覚に陥る。

 

そこからは、ライフステージを進めようと、いろんな変化を求めるが、詰まるところ、独身のままではこれ以上先に進めないと感じだす。

そして、次のステージに進むために、婚活なんかを始めてみる。

私の場合はそうだった。

 

随分と長いこと、私は1人で過ごしていた。

すっぽりとハマってしまったものだから、そこから抜け出すためには、大きなエネルギーが必要だった。

 

そして、何度も抜け出そうと試みても、エネルギーが足りなかったのか。

抜け出すことは難しかった。

 

だけれども、少しずつヒビが入り、私は手足を動かせるようになった。

可動域が広がると、選択肢は多くなり、もう少し大きく動けるようになった。

そして縁に恵まれて、私は妻と出会うことになる。

 

努力を重ねてきたからこそ、感慨深さがあるのかもしれない。

そして、手に入れたら入れたで、また次に向けて忙しなく進んでいる。

 

私は「希望」を手に入れたのだろうか。

それが活力となり、忙しさと向き合うことができている。

「結婚」なんてものは、リスクの塊だ。

特に、高齢になればなるほど、リスクは大きくなる。

 

それでも、多くの人は結婚を望み、それによってライフステージが進んだと感じる。

結婚とは、そういうものなのかもしれない。

 

必須ではないけれど、半分必須なのだ。

そして、求めても手に入らなかった場合、どこか寂しさを感じて過ごすことになる。

私も半分は、そっちの覚悟をしていたものだから、その寂しさはよくわかる。

 

話をまとめると、私が「結婚すること」によって手に入れた感情。

それは、目の前の課題に対して、前向きに取り組むことのできる「希望」なのかもしれない。

 

今は目の前のことに精一杯だけれども、少し落ち着いたら、私にどのような感情が芽生えるのか。

今の「希望」を糧にして課題に取り組む姿勢をどこまで維持することができるのか。

 

それを楽しみにしたいと思う。