私が新卒で入社した会社でのこと。
あまり折り合いの良くない営業部門の部長がいた。
その人は、誘ってもいないのに飲み会に乱入してきたと思ったら、参加費も支払わずに飲み食いをして帰っていく。
次期社長と目される人の腰巾着として、いつも子分のように付き添っている。
正直なところ、私はその人のことが好きではなかった。
そして、割と態度に出やすい性格をしているものだから、それが伝わっていたのだろう。
「おべっか」のようなことは一切しなかった。
そしてある時、同じく誘ってもいないのに乱入してきた飲み会の席で、その人と向かい合わせの席になった。
その時に言われた言葉が「君はどこの誰だっけ?」というものだった。
そのニヤニヤした態度からは、明らかに私のことをどこの誰だかはわかっている様子。
周りのフォローで「あー、そうだったか」と気がついたそぶりを見せるも、意図は明らかだった。
自分に「へーこら」してこないお前の存在なんか、取るにたらないものなんだぞ、とのアピール。
そういうことだったのだろう。
イラッとした私は、「〇〇部長はいつも無銭飲食ばかりしていますよね。今日もみんなの金で飲み食いしにきたのですか?」と、喉元まで言葉が迫り上がってきたけれど、なんとか堪えた。
立場のある人でも「こういう人もいるのだな」と、良い社会勉強になった。
その後、その人は、上手いことおべっかを使ったのかは知らないが、私がその会社を辞めた後に出世していったようだ。
世の中、人間性が評価される時代にはまだまだ程遠いのだろうか。
自分に都合の良い若手を重宝して、そうではない若手は煙たがられる。
人間だから、少なからずそういうことはあるだろう。
しかし、好き嫌いが先行するような会社には、おそらく良い人材は集まらない。
スキルを磨くことよりも、上から気に入られることの方が重宝される環境だからだ。
目的がズレると人はダメになる。
人が集まらなければ、多くの会社はこれから淘汰される時代へと進むだろう。
そうなると、恣意の入り込む余地のないシステムを構築する必要がある。
しかし、それはそれで血の通わないものになってしまう。
そうして現在推奨されている苦肉の策が、1on1というものだ。
とにかく、1対1で上司やメンターが、部下に対して接する機会を多く設ける。
組織の中では言いにくいことを共有することで、帰属意識を醸成するという狙いだ。
確かに効果はあるのだろうけれども、私が思うのは、「どこまでが仕事で、どこまでが仕事ではないのか」ということ。
職場の人間関係なんて、組織が手を打たなくても自然と出来上がっていくものにしなければならないのではないだろうか。
ピンポイントで施策を打ったところで、それはビジネスライクな関係にしかならない。
真に関係性を深めて、帰属意識を醸成するためには、どうしたって仕事以外でつながる機会を増やさなければならない。
何が書きたかったのかというと、仕事のために仲良くなったり、仕事のために嫌いな奴に媚を売ったりしなくても、居心地が良くて力を発揮できる環境を作ることは難しいということ。
仕事とプライベートの境界線が曖昧な方が、もしかしたら組織としてはうまくいくのかもしれない。
しかし、仕事に対する嫌悪感から、仕事の人間関係がプライベートに及ぶことを嫌がる人も多い。
その辺りは「神のみぞ知る」世界で、狙ってそういう組織を作ることはできないのかもしれない。
いずれにしても、みんなが同じ目的に向かって、生き生きと働くことができれば、難しいことなど考えなくても、自然と居心地の良く力を発揮できる組織になるのかもしれない。
取り止めもなく、そんなことを考えた。