今の上司がこのタイプなのだ。
割と面白い例えをしてくるものだから、ノリツッコミ的なスタンスで接していると、どうもそれを求めている様子ではない。
口では「のんびりと働きたい」なんて言いながらも、根はバリバリのタカ派だ。
口調穏やかにズバズバと切り込んでくる。
本質的な部分が私と似ているのかもしれない。
だからこそ「難しさ」があるのだろうか。
先日は、全社員が一斉に受けた「自らの特性」がわかるという検査の結果を私に見せて、「自分はこういう性質の持ち主だからよろしく頼む」というようなことを言われた。
そこに違和感を覚えながらも、それもコミュニケーションの一環なのかとも思った。
だいぶ距離の取り方には慣れたけれど、その分一人で抱えなければならないところが増えてきた。
「いつでも気軽に頼ることができる関係」
今の職場ではあまりそこまでの関係を築くことができていない。
まだまだ私は頼り甲斐のあるところまで達していないのだ。
私の部署はどちらかと言えば、人間関係を深めるような雰囲気ではない。
仕事は仕事だと割り切って、黙々とタスクをこなすような感じだ。
そこは、転職前と大きく違うところ。
それにもだいぶ慣れてきたとは思うが、テレワーク主体ということもあり、関わる人以外は、いまいち人となりの掴めないまま働いている。
そうなると、帰属意識の醸成は難しい。
今の学生たちは、このような状況の中で学生生活を送り、社会へと出てくるのだから、定着率が思わしくないのは頷ける。
そもそも、教育が難しい。
仕事が山のように降りかかる中で、仕事を他の人に振るためにも時間を割かなければならない。
それならば、自分でやった方がいいという判断に至り、暇を持て余してやる気を削がれた新入社員が完成する。
私の場合は、中途だからまだ良かったのだろうけれど、社内ルールを含めて、ほぼOJTだった。
マニュアルだけポンと渡されて、あとは「わからないことがあれば、その都度聞いてください」
そう言われても、あまりにも忙しそうにしているコミュニケーションコストの高い上司に対して、気軽に聞けるような雰囲気ではない。
そのような環境の中で、私はなんとかそれなりにやっている。
前の会社では、自由に仕事を進めることができたけれど、まだまだそこまでは遠い。
特に今は私も忙殺されている時期だ。
もしも私に部下という立場の人がついた時に、私にはその人を教育する余裕があるのだろうか。
おそらくは、全くない。
しかし、最短で来年の4月には可能性はある。
それまでに私は身の回りを整理して、余裕のある状態で仕事を回せるようにしなければならない。
いわゆる心理的安全性。
「いつでも気軽に頼ることができる関係」を築くことがそれを養うための第一歩なのだろう。
余裕のない職場に、心理的安全性が根付くはずはない。
そうなると後は、個人の努力次第ということになる。
後輩たちのために、私が踏ん張るしかないのだ。