苦難を乗り越えることにより、
2人の間に絆は芽生える。
ある意味では、結婚式というものは、
それを目的とするものなのかもしれない。
「初めての共同作業」
これくらいのことを、2人で乗り越えることができなければ、それから先にある苦難を共に乗り越えることなどできない。
覚悟を確認し合うための儀式。
列席に見守られながら、
自分たちが主役となる場を作り上げる。
それは結構大変な作業だ。
やらなくてもいいものならば、やらなくて済むことに越したことはないけれど、相手が望むのであれば、そういうわけにはいかない。
2人で話し合いながら、協力し合いながら、
絆を深めることができるか否か。
それにより、2人の今後は決まるのかもしれない。
私たちは、無事に絆を深めることができたのだろうか。
主観で言えば、おそらく目的は果たしたと言えるはずだ。
あとは、これから先の私たち次第である。
妻は、私が思っていたよりもずっと自由で、何者にも縛られない人だった。
私が妥協しなければならない点は、これから先も数多くあるのだろう。
気がつくと、いつのまにか新しいことを始めている。
そして、私はいくらかそれに巻き込まれており、私がしなければならないタスクも当然用意されている。
そこに折り合いをつけながら、私はもともと私のやるべきことに追加して、忙しさを増していく。
そういう関係なのだ。
大変な関係だけれども充実感はある。
私は意外と振り回されることが嫌いではないのだろう。
少なくともしばらくは、こんな調子で私たちは進んでいくのだろう。
いつまで体が持つのかはわからない。
しかし、体が持つまではおそらく変わらない。
2人の生活が大きく変わっている。
今は「やらなければならないこと」に追われているものだから、2人とも忙しなく動いている。
おそらくひと段落したら、多少の違いは出てくるはずだ。
その時に、妻の勢いは落ち着くのか、それとも隙間時間を埋めるように、さらに加速することになるのか。
それはその時になってみないとわからない。
私たちは、共に生きていくことを決めた。
お互いがお互いを伴侶として、同じ時を過ごすと決めたのだ。
だから、ある程度は寄り添った上で生きる必要がある。
私が妻の自由さに振り回される覚悟を持つと共に、妻にも私を振り回さない覚悟が必要なのだろう。
12月も予定は詰まっている。
私たちの生活が落ちつく日は来るのだろうか。
今のところ見通しは立たない。