「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「感情を振るわせた経験」を共有すること

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喜びを共有する中に絆は生まれる。

私の拙い人生経験を通して、そのことを実感する。

 

そして、苦しみを共有する中にも絆は生まれる。

それも経験から実感する。

 

要は、感情を振るわせた経験を共有することで、私たちは他者とのつながりを実感することができるのだ。

それならば、誰かと感情を振るわせることができるならば、孤独を感じることなどない。

 

誰もが、それを求めている。

「生きている実感」を得たいと願っている。

そして、その答えは人との繋がりの中にあることを、漠然と気がついているのだ。

 

「傷つくことが怖いだけ」

 

感情をむき出しにした時は当然無防備になる。

自分の心の柔らかいところを相手に晒すわけだから、相手に悪意があれば、致命傷を与えられることもある。

 

だから怖いのだ。

 

だけれども、そこから踏み出さなければ先に進むことはできない。

「虎穴に入らずんば虎子を得ず」という通り、リスクのない投資などない。

 

自分から心を開くからこそ、相手も心を開いてくれることもある。

「基本的に」大体の人はいい人だ。

少なくとも、悪意を垂れ流して生きているような悪人は、世の中にそうそういるものではない。

だから、過剰に恐れる必要はない。

 

人と多く接していると自負している私でさえ、今の年齢で新たに友達を作ることは難しいと感じている。

おそらく、それは心を震わせる機会が減っているからだ。

 

そして、それを誰かと共有する機会は限られるし、誰かと共有したとしても、既存の繋がりの中だけで満たされる。

歳を取れば取るほどに、心を遠出させることがおっくうになるのだ。

 

今の私は何を求めているのだろう。

何かに追われながら生きている。

タスクは山のように降り注ぐから、それをこなすだけで精一杯だ。

 

どんなに忙しくても心にゆとりを持ちたい。

そのためには、とことん遊ぶためのまとまった時間を無理にでも作ることか。

「新しいこと」をしなければ、なかなか心を動かすことはできない。

 

それを「誰かと共有」となると、必然的に妻が相手になる。

最近は、妻と手を繋いで寝ることが増えた。

 

これもまた一つ「安らぎ」という感情を振るわせた経験を共有することなのかもしれない。

 

お互いに疲れているのかもしれない。

社会は容赦ないから。