「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「その場限り」の共感

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「いいと思う」

意見を求められた時に「良くも悪くもない場合」、

無意識的にそのように答えている気がする。

 

「その場限りの共感」

 

そこに私の意思など介在していない。

ただスキルとしてそのように振る舞っているだけだ。

しかし、不思議なことに、それを続けているだけで相手との関係を良好に保つことができる。

なんとも面白いものだ。

 

結局のところ、人は自分たちに都合の良い世界を作り出しているだけなのかもしれない。

ストレスを緩和して、自分達が過ごしやすい世界を自分たちで作り出しているだけなのかもしれない。

 

だから、そのルールの枠からはみ出た人を排斥しようとする。

それが「わかりやすい正義」だからだ。

 

自分たちに都合の良い世界を作り上げることに躍起になる。

それが目的となってしまったら、侘しいと感じるのは私だけだろうか。

 

自分の内面に目を向けて、自分の心の動きにもう少し敏感になって、自分の求めているものがなんなのかを考える時間が欲しい。

おそらく、私はそのためにブログを書いている。

 

世界は目まぐるしく動いている。

その速度に振り回されないようにすることとは多大な労力を必要とする。

だから、そのことにしか時間を使うことができなくなる。

 

常に誰かの目に晒されて、誰かの評価に振り回されて、誰かの評価なしでは生きていけなくなって。

果たしてそんな人生は幸せだと言えるのだろうか。

 

しかし、そんなことを考えたとしても、私は今日も「その場限りの共感」を続けるのだろう。

それが最もコスパが良いからだ。

世界と調和するためには、ある程度は自分の意見を殺しながら生きていくしかないのだ。

 

人生に「どうでもよいこと」など一つとして無いと思っていても、多くのことを「どうでもよい」と判断して、思考停止しながら習慣的に処理をする。

 

人生の大部分を、みんなそうやって生きている。

だから、人目のつかない匿名のオンラインでは本音が溢れている。

常に清らかであり続けることなどできない。

どこかで発散させる必要がある。

 

人は縁に触れて、良くも悪くも変化する。

理性を手に入れたからこそ、振れ幅は大きくなる。

世界に振り回されることで、個人では考えもつかないところまで行ってしまう。

 

世界の振れ幅を抑えることなどできない。

だからこそ、自分が振り回されないように心を強くするしかないのだ。

 

「その場限り」の共感をしながら、相手を不快にさせることなく、そこに自らの意志を介在させること。

本件に対する私の当面の課題は、そんなところだろうか。