通勤電車が混み出した。
徐々にではあるが、テレワークをする人が減ってきているのだろう。
加えて、会社の方も少しずつ制限を設けだしたのかもしれない。
私の職場でも、テレワーク主体で働く雰囲気ではなくなった。
忙しい時期にテレワークをすると、直接口には出さないが、上司から暗に不満そうな言い回しをされる。
あるアンケートでは、週に3日以上テレワークで働く人の割合が逓減しているようだ。
ソーシャルディスタンスも少しずつ撤廃されていく。
アクリル板は形骸化されて床に置かれていたり、イベントは当たり前のように満席で行うようになる。
スペースが空いていてもお構いなしに、誘導係りは詰めて座るように促す。
なんともまぁ、過ごしにくさを感じるものだ。
結局、「日本人は」という括りが適当かはわからないが、コロナ禍で培った快適さを今後に取り入れようとはしないのだろうか。
馬鹿の一つ覚えみたいに、「前と同じ」だということが励行される。
私の周りでは、コロナ感染者が急増している。
にも関わらず、社会は逆に進む。
ここにも大きな違和感を覚える。
感染者に対する待機時間などの隔離措置は設けたままなのに、すでに新型コロナの扱いはインフルエンザと変わらないレベルに下がっている。
このチグハグなところが、なんとも日本らしい。
結局、何もなかったかのように元に戻るのだろうか。
「良いものは続けよう」と、そんな考えに身を委ねることなく、日本人は前と同じように満員電車に揺られて通勤し、スカスカの箱の真ん中に密になりながら一体感に悦になるのだろうか。
それとも、人は本能的に人との触れ合いを求めているのかもしれない。
そうでなければ、こんなに効率悪く不快な思いをする方向に舵を切るはずがない。
私たちはどこへ向かうのだろうか。
そして、何を求めているのだろうか。
それとも、何も考えてなどおらず、
大きな意思に導かれて進んでいるだけなのだろうか。
もはやわからない。
私が思うことは、もう少し自分たちが快適に過ごせるように仕組みを組み立てればいいのに、ということだけだ。
そうならないのも無理はないか。
仕組みを決める人たちは、満員電車とは無縁の人たちなのだから。
お金で快適さを享受できる人たちなのだから。
そんなことを考えながらも、
多分に漏れず満員電車に揺られる私もまた、何も変えることのできない一人なのだろう。