「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

ミヒャエル・エンデ『モモ』

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全ての人が死を恐れなくなれば、誰かに時間を奪われることなど決してなくなる

とても印象に残る、作中のフレーズだ。

 

執筆は1970年。

50年の時を経て、しっかりと時の洗礼を受けた作品である。

 

自らの時間を、自分の幸せと結びつけて使うことのできる少女、モモ。

彼女には実の家族もいなければ家もない。

生い立ちも、経済的にも決して恵まれていないが、モモには不思議な力があった。

 

モモに話を聞いてもらうと、相手は想像力を掻き立てられて、自然と自分らしさを発揮できるようになる。

だから「モモに話を聞いてもらおうよ」が合言葉となって、モモの周りにはたくさんの笑顔が広がっていた。

 

ところが、人間は自分のために時間を使わなくなることで、時間泥棒たちに隙を見せて、自らの時間を知らず知らずのうちに盗み取られてしまうようになる。

効率ばかりを追い求めて、あるかどうかもわからない遠い将来のために時間を貯金しようと、セカセカと働く人間たち。

 

貯金した時間は、全て時間泥棒たちに搾取されていたのだ。

モモの前から、一人また一人と友達は減っていく。

効率を追い求めて、時間に追われて、モモと接する時間を持つことができなくなってしまうのだ。

 

それでも、自分らしさを見失わないモモに脅威を感じた時間泥棒たちは、あらゆる誘惑をそろえて、モモを懐柔しようとする。

しかし、モモは、誘惑に対して全く興味を示さない。

 

そして、モモは次第に時間泥棒から敵視されるようになり立ち上がる。

時間泥棒たちから友達を解放しようと奮闘する少女の物語だ。

 

 

「時間」

それは等しく与えられたもの。

 

それの使い道を考えることが、人生に与えられた課題なのだろう。

ある人は、自分の夢を叶えるために奮闘する。

ある人は、ただ楽しく過ごすために費やす。

 

どちらが正しい選択なのかはわからないけれど、

終わりを迎えた時に、後悔のない時間の使い方をしたいと、私は思う。

 

モモの友人であるジジは、自分が自分では無くなってしまうことを自覚するという地獄に生きながらも、そこから抜け出す選択をすることができない。

豊かな生活を味わい尽くしたことにより、それを手放すことによる苦痛を享受できないからだ。

 

「経済的な豊かさ」の代償として搾取される「時間」

私たちの社会における構図は、50年前から何一つ変わっていないのかもしれない。

 

今を生きる私たちには、自ら選択して使うことのできる時間がどれだけあるのだろうか。

働いていれば、その分の時間を自分の時間から費やすことになるし、仕事が休みの日にも「やらなければならないこと」は山ほどある。

 

自ら隙間を埋めるように予定を詰め込んでいく。

そして、忙しい、忙しいと、まるでそれが勲章でもあるかのように、見せびらかしている。

 

みすぼらしい浮浪児であるモモは、全ての時間を自分のために使い、時間泥棒に搾取される隙を微塵も与えない。

 

「真の豊かさ」とは何か。

現代人に課せられた大きなテーマ。

 

産業革命以降だろうか。

人類は長いこと、同じことを問い続けられている。

そして、その答えは見つからない。

 

そんなに生き急いで、私たちは何を目指していて、どこに向かうのだろうか。

効率の良さばかりを追い求めて、効率化によって出来上がった時間を、さらに効率良くするための思索時間に充てる。

 

終わりのないラットレース。

そこから抜け出すためにマルチ商法に騙されてしまう気持ちも、わからないではない。

 

もっと本源的にさ。

人は、自らの時間の使い方について考える時間を設けなければならないんじゃないかな。

 

自分は何に対して喜びを感じて、何をしている時が幸せなのか。

それがわかっていれば、空いた時間をなるべくそのことに使うはずだ。

 

「何に時間を使ったらいいのかわからない」

だから、先々のことにばかり時間を投資して、損をしていないと思い込みたがる。

 

そう考えると、その日暮らしの風来坊みたいな生き方が、あながち幸せに通じているのかもしれない。

 

現代人は、未来のことにばかり時間を投資し過ぎている。

だから、時間泥棒たちに隙を与えて、時間を搾取されていることにも気がつかない。

 

そして、今も未来も、人が「豊かさ」を追い求める限り、それは続くのかもしれない。

 

この作品『モモ』は、なんとも心に突き刺さる不朽の名作だ。

このままでは、人類はこれから先も同じように生き続けるのだろう。

私たちは、どこに辿り着くのだろうか。

 

誰もが薄々気がつきながらも、システムに雁字搦めにされていく様を浮き彫りにした作品。

投じた一石は、大きな波紋となって、50年が過ぎた今もなお、輝きを放ち続けている。

 

そんな力のある作品だ。