コスパ=コストパフォーマンス、
これは市民権を得た言葉だけれども、
「タイパ」という言葉が流行っているらしい。
「タイムパフォーマンス」
いわゆる「時短」を目的としてパフォーマンスの良いことを指す言葉のようだ。
今の若者たちは、自分の時間に対して、無駄にはしたくないという気持ちが強いのだろうか。
そして、時短により作り出した時間を、どのように使うつもりなのだろうか。
ミヒャエル・エンデ『モモ』
この作品に登場する「時間泥棒」たちは、気がつかないうちに人から時間を搾取する。
結果として、人は時間に追われながら、時間を節約することにばかり躍起になり、自分の人生を生きることができなくなる。
時間を生み出す事は大事だけれども、
その生み出した時間を浪費していたら、結局は何のための時短なのかわからない。
それぞれが自分の時間をどのように使うのか。
それを求められる時代へと進んでいるのかもしれない。
選択肢が増えれば増えるほど、選び取った選択に対する責任を取らなければならなくなる。
「敷かれたレールの上を生きていれば済む時代」から、「人生は自己責任の時代」へ。
モデルケースは存在しない。
誰をモデルに生きるのかも、自分で決めなければならないのだ。
だけれども、気をつけなければならない。
いくらタスクを詰め込んだところで、そこに喜びがなければ、何のために生き急いでいるのかもわからなくなってしまう。
自分が何に喜びを感じて、どのような生き方を望んでいるのか。
それを突き詰めなければならないのだ。
誰かにとっての喜びが、そのまま自分にも当てはまるとは限らない。
時代は選択肢ばかり広げるけれども、その選択肢に対しては、誰も責任など取ってはくれないのだ。
ある意味では残酷な時代。
みんながみんな、自分の人生に大きな責任を要求されるのだ。
私たちはこれから、どのように生きるのか。
それぞれが、それを考えるために時間を使う必要があるのではないか。
「タイムパフォーマンス」
刻一刻と過ぎ去る時間。
その価値は、相対的なものではなく絶対的なものなのだ。
終わりに向かって進んでいる。
私たちは誰しも、終わりに向かって進んでいるのだ。
そのことだけは、忘れてはならない。