「生活を良くしていきたい」
私たち夫婦は、その理念を共有できるパートナーだ。
だから、学びを忘れない。
その甲斐あってか、妻の料理のクオリティが日に日に上がっている。
あまり料理をしてこなかった2人だから、
妻は「私が作る」と心を決めて、それからは毎日2人分のご飯を作ってくれるようになった。
正直、初めは妻に気を遣い、
「美味しい」と口で言いながらもあまり美味しくないこともあった。
妻もそれをわかっているらしく、その度に私は、妻を傷つけないようにフォローする。
その度に私はフォローするスキルが上がっていくのだ。
しかし今では、レパートリーが増えているにも関わらず、そのどれもが「美味しい」と思うくらいに上達している。
「失敗」を「勉強」と捉えながら、次回への糧とする妻の姿勢は、素直に尊敬する。
「俺が料理してくれないから、さざゑ(妻)は疲れちゃうね」
そんなことを私が冗談めかして口にすると、妻はこう言うのだ。
「ますをくんは、仕事を遅くまで頑張っているんだから、帰ってきた時にご飯くらいすぐに食べたいでしょ。これは、ますをくんと結婚した私の使命だから気にしないでね」
なんとも健気で素敵だと思った。
そんなことを言われると、私も頑張らざるを得なくなる。
狙ってか狙わずか、私は妻の手の中にいるようだ。
こうして、私たちは何とか夫婦生活を続けている。
今はまだ、お互いがお互いのことを気遣いながら生きている。
その遠慮がなくなった時に、私たちは良好な関係を続けることができるのだろうか。
「学ぶ姿勢」を忘れない限りは、おそらくこの関係を続けることができるのだろう。
しかし、人生は平坦ではない。
数多の試練を乗り越えて、私たちは理想の夫婦への歩みを続けることができるのだろうか。
それとも、どこかで力尽きて、別々の道を進むことになるのだろうか。
これから先のことは誰にもわからない。
妻は「大丈夫」だと言う。
私は「先のことはわからない」と言う。
そんな私のネガティブを笑ってあしらう妻の強さに救われる。
私は、この人としか結婚することができなかったのかもしれない。
奇跡的にうまくいかなかった数々の私の恋愛は、今この時に繋がっていたのだ。
どんなに腕がプルプルと震えて、すぐにでも掲げた希望を下に降ろしたくなったとしても、掲げた希望を降ろさないことが大事なのだと、今になって思う。
「諦めたら試合終了」
泥臭く、粘り強く、前に進み続けるしかない。
幸せな時だからこそ、私はそれを忘れずにいたいのだ。