「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「忙しさ」は重なる

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いつだってそうだ。

私の人生は、忙しい時に忙しいことが重なる。

 

タスクは増えていく一方だ。

全てをシャットアウトして、南の島でピナコラーダでも片手にビーチパラソルの下で海を眺めて過ごしたい。

そんなことを妄想したところで、タスクが減ることはない。

 

それに、私は「忙しい私」のことが好きだ。

「忙しさ」に自らの存在意義を見出して、確かに自分はこの世界に存在してもいいんだと、そう自己存在を転化している部分があるのだろう。

 

停滞感に苛まれて、悶々としていた時期と比べると、今は格段に私の幸福度は高いと感じる。

 

私は1人ではなくなった。

妻は自立した人間ではあるけれど、私のことを求めてくれている。

そして、私も同じく、妻のことを心から尊敬して、その体、だけではなく心を求めている。

 

私たちの人生が重なってから、まだ時は浅いけれど、今のところは、お互いがお互いのことを尊重しながら、歩みを進むことができている。

 

今は「大事な時期」だ。

始まりの時点で、2人の進む方向が少しでもずれていると、時を重ねるに従って、そのずれは大きなものとして顕在化する。

 

些細なことはお互いが好きにすればいいけれど、

夫婦として目指すべきもの、

大枠の部分のずれは、極力無くした上で歩みを進めたい。

 

私たちの相性は、奇跡的と言っていいくらいに良い。

まるで、お互いがお互いと結ばれるために、それまでの歩みを進めてきたように、同じ価値観を共有している。

強弱のグラデーションに違いはあれど、私たちの価値観をグラフにした時に描く波形は、概ね一致するのだ。

 

私は妻と出会うことができてよかった。

そう思い続けることが、夫婦円満の秘訣だと感じる。

 

あまりにも忙しい今だからこそ、

妻の要望で新たなタスクを増やされたとしても、心の中はともかくとして、笑顔で「それ良いね」と答える良い訓練となる。

 

こだわる場所には、男女差がある。

「育ってきた環境が違うから、好き嫌いは否めない」のだ。

夏がダメだったり、セロリが好きだったりする。

 

「好き」

心がささくれだった時には、そんな高校生みたいな一言が、意外と効果的だったりもする。

魔法の言葉として活用できそうだ。

 

私は妻との生活に波風を立たせないことを、これから先の新たなミッションとしなければならないのか。

それとも、妻との生活に心から幸せを感じながら、共に歩みを進めていくのか。

 

両者は表面的には同じようで大きく違う。

 

心まで変えることはできない。

それならば、自己暗示でもいいから、「私は妻と出会えてよかった」とアウトプットし続けて、「好き」という言葉を素直に、妻に対して伝え続けるべきなのだろう。

 

幸福度なんてものは、つまるところ「思い込み」による効果が大きいのだ。

 

私は幸せでいたい。

だから私に対して、おまじないをかけ続ける。

魔法が解けてしまわないように、気をつけなければならないな。

 

私は、妻のことが好きだ。

心から、結ばれることができてよかったと思う。

 

表題とは、だいぶ結論がずれたが悪しからず。