若い頃は、自らのリソースが枯渇することに疎かった。
いつまでも前に進めると、進めないのは努力が足りないのだと、そう信じて止まなかった。
しかし、歳を重ねるうちに、そうではないことを思い知る。
私の場合は、心と体が悲鳴をあげた。
「パニック障害」という形で現れた異変により、私は大きく方向転換を迫られることになった。
無理をし過ぎて潰れてしまうと、リカバリに大きな時間がかかる。
最速で進んでいるつもりでも、かえって遠回りをすることになるのだ。
「リソースは限られている」
そのことは、一度潰れてみないとわからないのかもしれない。
人は、経験を信仰する生き物だから、無理をしながら先に進んだ末に成功体験を掴んでいれば、それがその人の宗教になる。
だけれども、リソースが限られているということは、確かなことだ。
だから、それを最大限に活用するために、体をケアしたり、心を休ませるための時間を設けたりして、人は努力の矛先を、休息にまで向ける。
無駄のない生活を目指した先には、何が待ち受けているのだろうか。
成長することが目的で、前に進むことが目的で、脇目を振る余裕がない。
果たして、それで人生を謳歌していると言えるのだろうか。
これは自問自答だ。
果たして、私は私の人生を生きているのだろうか。
私の選んだ先の今だ。
それは承知の上だけれども、今はそういう時期だと割り切るしかないのだろうか。
思考停止して、ただ膨大なタスクをこなすことに追われている。
その中にも成長はある。
しかし、その成長は私の人生に何をもたらすのだろうか。
数字の持つ魔力に魅せられて、
私は傀儡となってはいないだろうか。
数字に表すことのできない幸せを、おろそかにしていないだろうか。
そんなことを考えることが増えた。
それは現実逃避なのかもしれないな。
今はただ、目の前のタスクをこなして、
前に進み続けるしかないのだ。