初めての後は、なんだか誇らしい気持ちになった。
自分でも不思議だけれども、妻のことが可愛くて仕方がなく思えた。
「世界の見え方」は、なんら変わり映えしないのに、少しだけ背中を押されるような感触を常に感じている。
私は少しばかり、世界に対して肯定的になることができたのかもしれない。
私は世界に対して「後ろめたさ」を感じていたのだろうか。
私は世界から「疎外されている」と感じていたのだろうか。
少なからず、それはあるだろう。
マイノリティに所属することの辛さ。
それがコンプレックスと結びつき、
絡み、解けず、どんどん拗れていく。
「めんどくさい」と思っても、まずはそれと向き合うところから始めなければならない。
一本ずつ、絡まった糸と向き合って、その対処法を考える。
解いたり、あるいはプツリと断ち切ったり、
その繰り返しの中で辿り着いた、
今までとは違う「赤い色をした糸」
その先を辿ってみると、妻がいた。
ただ、それだけのことなのだ。
思えば、私のこだわりなど、
周りから見れば「取るに足らないもの」だったのだろう。
それでいて、その厄介なこだわりは、私の人生に対してだけ、深く影響を及ぼす。
人一人の中には、一つの世界があるのだ。
小さな小さな一人の中に、
大きな大きな世界があるのだ。
その人にしか見えていないもの。
その中には、ものすごく大きな可能性を秘めているものも多い。
私は「人間の可能性」を信じ続けたい。
「人類の行く末」に希望を見出し続けたい。
疫病、戦争、経済苦。
世界はガラリと変わったけれど、
それが私に及ぼす影響は限定的だ。
だから、私には実感を持ってそれを論じることはできないけれど、この世界には、そのガラリと変わった環境で必死に生きている人たちがいる。
そんなことに思いを馳せるということは、
私には、それに目を向けるだけの余裕ができたということだろうか。
普段は気にしていないようで、私の脳内リソースを消費していた、ある種のバグのようなもの。
長年、そこに問題があることに気がついてはいても、取り除くことのできなかった課題。
それが、私から取り除かれた。
そんな感覚だろうか。
小さなことだけれども、大きなこと。
私にとって、これはそういうものだ。
誰にとっても、そういうことはある。
無意識のうちに消費される脳内リソース。
そらが取り除かれたことにより、少しだけ余裕のできた私。
空いた分のリソースを何に使うべきなのだろうか。
おそらく、それは家族のために使うべきなのだろう。
少しずつ、私は解き放たれていく。
そして少しずつ、私は別の何かに縛られていく。
人生はその繰り返しなのかもしれない。
一時期に付き合うことのできる親しい友の数は限られているように、一時期に情熱を傾けられる事柄も限られているのだ。
私にとって、新しいステージが幕を開ける。
今はちょうど、前のステージの幕が降りている。
新しい世界よ。こんにちは。
そして、
愛おしく、必死にもがき苦しんで、ここまで辿り着いた私よ、さようなら。
祝福に次ぐ祝福。
世界は少し、私に対して優しくなった。
そう感じるのは、気のせいではないのだろうか。
いや、私の方が世界に対して優しくなることができたのかもしれない。
「私」と「世界」は、昔よりも少しだけ仲良くやっていくことができるのかもしれない。
そう、私は変わったのだ。
小さなことだけれども、大きなこと。
私は大きく変わった。
そして、大して変わらない。
私の人生は、これから先も続いていく。