「生命力」
生きるための力、
生にしがみつく逞しさ、
そういう類の能力の総称だ。
年を取るごとに「生命力」は弱まっていく。
それは「人生」に対する「諦め」からくるのだろうか。
それとも「人生」をやり切った「充実感」からくるのだろうか。
まだまだ「経験したいこと」はたくさんあるけれど、
同時に「もういいかな」って気持ちも強くなってくる。
人は「生きること」に飽きてしまうのだろうか。
人生は基本的に理不尽なもの、
望むものを手に入れるためには大きな努力が必要なのに、
それが全く報われないことも珍しくはない。
そういうことが繰り返し続いていくと、
「もういいかな」って気持ちが顔を出す。
「新たな価値観」と共に踏み出すことができればいいのだけれども、
その「新たな価値観」とやらを模索するにもまた途方もない努力が必要だったりもする。
「人生」ってやつはさ。
どうしてこんなにも辛く苦しいのだろうね。
若い頃はそんなことに気が付かないまま生きてきたけれど、
30歳を過ぎてからはつくづく感じる。
「生命力」は枯渇することなんかなくて、
「死ぬまで生き生きと進めるのだろうな」なんて、
それを疑うことはなかった。
私の「生命力」は20代で使い果たしてしまったのだろうか。
ここのところ、若い子と接する機会が多いけれど、
もはや「見えている世界」が違うように感じる。
私と同年代の「おっさんチーム」は、話をしていてもどこか疲れていて、
将来の夢や希望を語る機会なんてほとんどない。
あったとしても「大変な現状」を乗り越えるために、自らを無理に奮い立たせているように映る。
何かが根本的に違うのだ。
「ガムシャラにただ突き進む」
私にはそういうことができなくなってしまった。
いつでも「損得」を考えて、リスクヘッジを怠らずに、
「成功を掴む」よりも「失敗しないこと」が大事、
そっちの方向にシフトしてしまったのかな。
「女性」に対する嫉妬の次は「若者」に対する嫉妬が始まっている。
失ったものばかりに引きづられて、手に入らないものを渇望して、
私の人生はいったい何なのだろうか。
この「嫉妬」の先にあるものによって、私は満たされるのだろうか。
そんな予感は全く1ミリもしないのだけれども、
今はそんな「負の感情」に体を預ける時期なのかもしれない。
これはいつまで続くのだろうか。