「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「信念を持つ」ということと「独善的」であることの差

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おそらく両者の違いは一見すると紙一重

だけれども相手への伝わり方は180°違う。


前者は「共感」を生み出し、

後者は「反感」を生む。


できることならば、

私は「信念の人」でありたいと願う。


両者の違い、


平たく定義づければ、

客観的事実に基づく「一貫性」があるか否かだろうか。


人は長い間、同じ環境に身を置き続けると、

居心地の良さを求めて無意識にバイアスをかける。


そのバイアスが知らずのうちに自分の中で肥大していき、

気がつくと「ニューノーマル」へと変わっている。


新海誠言の葉の庭

「人なんてものはみんなどこか少しずつおかしい」


とても印象的な言葉だ。


その「おかしい」ところを探り合って、

パズルのピースのように互いの心が持つ隙間へとはめていく。

その作業の末にあるものが「共感」だ。


上辺だけではない。

心からの共感、


それを目的としているか否かで、

今突き進んでいる道が「信念の道」なのか、

それとも「独善的な道」なのか、

その差は生まれるのかな。


人の心に寄り添うこと、


初めは「信念」だったはずのものが、

気がつくと「独善的」に変わっている。

いつだって自分のことを疑い続けなければならないのだ。


成果が上がれば上がるほど、

「自分は正しい」と思い込む。


確かに努力によって「正しい」精度は上がっているのかもしれないけれど、

いつだって正しいということは絶対にない。


「信念を持って行動する」というけれど、

その「信念」すらもチューニングが必要なのだ。


人々の心によって、

世界は形作られていく。

それならば自分の心もアップデートの対象だ。


そんな当たり前のことすらも忘れてしまって、

人を食い物にし出したら終わり、


意図して、

誰かを踏み台にして得た先にあるもの、


たっぷりとバイアスかけて、

甘い蜜でドロドロに塗り固められた、

中身は苦くて臭い「正露丸糖衣A」のようなものだ。


これがまた腹痛に効くものだから、

始末に負えない。


「腹黒さ」に働く自浄作用、

だけれども「痛み」は取れても「腹黒さ」は変わらない。

 

そうやって「痛み」に鈍感になっていくうちに、

「自己正当化モンスター」は生み出されていく。

 

各々気をつけなければならない。