ふと頭に浮かぶ。
特に思い入れのない記憶だったり、
気恥ずかしい記憶だったり、
失敗した記憶だったりする。
それが私に対して、
何を教えようとしているのかはわからない。
何がトリガーとなっているのかもわからない。
だけれども、それらは確かに何かを私に伝えようとしているのだ。
そのような予感はある。
「無意識」
人の意識の表層的な部分なんて、
思考のほんの一部に過ぎないのだろう。
意識下では目まぐるしく思考が渦巻いている。
それは自分の求めているものを色濃く反映しているのかもしれないが、それを形として確かにすることは簡単ではない。
「夢分析」を行っていた友人がいた。
ユングに傾倒しており、毎日夢を書くための日記をつけていたらしい。
しかし、結局のところ、その正体は分からなかったようだ。
結局、自分の望みなど知る術はないのかもしれない。
自分が何を求めていて、何を目指しているのか。
意識的に理想を打ち立てることはできる。
だけれども、それが本当に自分の求めているものなのか。
それとも、環境に順応する中で描いた虚像に過ぎないのか。
それは自分でもわからない。
行動や結果が人格を形作るのだ。
そう考えると、自らの意思など大した力を持っていないのかもしれない。
私は私の望む通りに生きている。
そう思い込んでいるだけで、私の無意識が求めているのは、全く別のものなのかもしれない。
結局は、なるようになるのだ。
それ以上のことはない。
人生とは、そういうものなのかもしれない。