「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

続・「漠然とした忙しさ」の正体

f:id:tureture30:20220630072301j:image

 

前にこんな記事を書いた。

tureture30.hatenadiary.jp

 

1か月ほど前のことだから、

そこまで日が経っているわけではない。

 

しかしながら、私の中で「漠然とした忙しさ」の占める割合は、

緩和させるどころか勢いを強くしている気がする。

これは対策の必要があると感じたため、改めて筆を執る。

 

1か月ほど前の私は「漠然とした忙しさ」の正体を、

「メリハリをつけられず、仕事の疲労をプライベートに持ち込んでいること」

だと考察した。

ふとした時に脳内リソースを仕事に取られていることから、

「常に忙しい」と錯覚しているのだと考えた。

 

おそらく、それは概ね正しく、それを解消できていないから、

私は今でも「漠然と忙しい」と感じ続けているのだろう。

 

元来、私はまじめな性格で、

先のこと見据えた行動計画を立てることが多い。

いわば「無駄な先読み」をしすぎなのかもしれない。

 

少し前に話題になったけれど、

「不安の9割は杞憂に終わる」という理論がある。

人が不安だと感じていることの9割は実際に起こることはなく、

ただ人が勝手に不安がっているだけ、との話だ。

 

私は「先読み」が過ぎるのだろうか。

彼女との将来がある程度現実味を帯びてきたものだから、

環境を大きく見直す必要がある。

 

しかし、思い返してみると、

「転職」を決断したときの私は「不安」よりも「清々しさ」が大きかった。

 

そう考えると、今回の環境の変化に対しても、

私は「清々しさ」を感じてもいいようなものだが、

いまのところ、そのような気持ちはあまり湧いてこない。

 

抱えている仕事に終わりは見えないし、

私は「独身」に未練を感じているのかもしれない。

「転職」の時とは違い、私は将来に希望を抱くことができていないのだろうか。

 

楽しみなイベントはたくさんあるけれど、

それ以上にやらなければならないことがたくさんある。

短期集中で詰め込みすぎている。

 

結婚したらしたで落ち着くことはなさそうだ。

お互いの生活を知るために時間がかかるし、お互い子供を望むから、それについてもあまり時に余裕はないのかもしれない。

 

私はいつまで忙しなく過ごすことになるのか。

「終わりが見えない」

おそらく、その精神的負荷が大きいのだ。

 

どこかで落ち着くことがわかっていれば、それに向けて頑張ることができる。

だけれども、終わりが見えないといつまで頑張ったら良いのかわからない。

 

転職したばかりの私は、「仕事に慣れれば落ち着くだろう」とそんなことを考えていた。

しかし、そんなに甘くはなかった。

慣れれば慣れたで、また新たな課題が降りかかってくる。

それもまたエンドレスだ。

 

成長の実感はあるけれど、コントロールできている感じは全くない。

ここも大きいのだろう。

 

「終わりが見えない」

「コントロールしている実感がない」

 

このあたりにメスを入れる必要があるのか。

 

しかし、所詮は目の前の課題をこなし続けるしかないのだろう。

仕事をコントロールできるような状況にはない。

 

仕事以外でもコントロールできることはコントロールする。

身近な喜びや楽しみにフォーカスする。

 

私にできることはそれくらいだろうか。

 

とにかく乗り切るしかない。

どこかのタイミングで、今の忙しさが日常に変わり、「忙しい」などと思わなくなる日が来るのかもしれない。

その時までは、やり切るしかないのだ。

 

「忙しい」と感じるから忙しい。

結局は心の持ちようなのかもしれない。