前にこんな記事を書いた。
1か月ほど前のことだから、
そこまで日が経っているわけではない。
しかしながら、私の中で「漠然とした忙しさ」の占める割合は、
緩和させるどころか勢いを強くしている気がする。
これは対策の必要があると感じたため、改めて筆を執る。
1か月ほど前の私は「漠然とした忙しさ」の正体を、
「メリハリをつけられず、仕事の疲労をプライベートに持ち込んでいること」
だと考察した。
ふとした時に脳内リソースを仕事に取られていることから、
「常に忙しい」と錯覚しているのだと考えた。
おそらく、それは概ね正しく、それを解消できていないから、
私は今でも「漠然と忙しい」と感じ続けているのだろう。
元来、私はまじめな性格で、
先のこと見据えた行動計画を立てることが多い。
いわば「無駄な先読み」をしすぎなのかもしれない。
少し前に話題になったけれど、
「不安の9割は杞憂に終わる」という理論がある。
人が不安だと感じていることの9割は実際に起こることはなく、
ただ人が勝手に不安がっているだけ、との話だ。
私は「先読み」が過ぎるのだろうか。
彼女との将来がある程度現実味を帯びてきたものだから、
環境を大きく見直す必要がある。
しかし、思い返してみると、
「転職」を決断したときの私は「不安」よりも「清々しさ」が大きかった。
そう考えると、今回の環境の変化に対しても、
私は「清々しさ」を感じてもいいようなものだが、
いまのところ、そのような気持ちはあまり湧いてこない。
抱えている仕事に終わりは見えないし、
私は「独身」に未練を感じているのかもしれない。
「転職」の時とは違い、私は将来に希望を抱くことができていないのだろうか。
楽しみなイベントはたくさんあるけれど、
それ以上にやらなければならないことがたくさんある。
短期集中で詰め込みすぎている。
結婚したらしたで落ち着くことはなさそうだ。
お互いの生活を知るために時間がかかるし、お互い子供を望むから、それについてもあまり時に余裕はないのかもしれない。
私はいつまで忙しなく過ごすことになるのか。
「終わりが見えない」
おそらく、その精神的負荷が大きいのだ。
どこかで落ち着くことがわかっていれば、それに向けて頑張ることができる。
だけれども、終わりが見えないといつまで頑張ったら良いのかわからない。
転職したばかりの私は、「仕事に慣れれば落ち着くだろう」とそんなことを考えていた。
しかし、そんなに甘くはなかった。
慣れれば慣れたで、また新たな課題が降りかかってくる。
それもまたエンドレスだ。
成長の実感はあるけれど、コントロールできている感じは全くない。
ここも大きいのだろう。
「終わりが見えない」
「コントロールしている実感がない」
このあたりにメスを入れる必要があるのか。
しかし、所詮は目の前の課題をこなし続けるしかないのだろう。
仕事をコントロールできるような状況にはない。
身近な喜びや楽しみにフォーカスする。
私にできることはそれくらいだろうか。
とにかく乗り切るしかない。
どこかのタイミングで、今の忙しさが日常に変わり、「忙しい」などと思わなくなる日が来るのかもしれない。
その時までは、やり切るしかないのだ。
「忙しい」と感じるから忙しい。
結局は心の持ちようなのかもしれない。