光の一つ一つに生活がある。
それが集まって豊かな色彩を奏でる。
私たちは一つの集合体なのだ。
「社会」という大きな組織に属した、
一つの集合体なのだ。
外から見ると、これだけ美しく見えるのに、
中に入って生活をしてみると、厳しい現実を抱えながら生きている人がいる。
私たちは、豊かな生活を作り出すために、
「社会」という大きな組織を作り上げた。
「豊かさ」と引き換えに「自由」を差し出して、
ルールに従うことで「安全」を享受しているのだ。
だから、そのルールから少しでもはみ出すと、
その組織では生きていけなくなる。
秩序を乱すことは、自分たちの安全を脅かすことにつながると、必要以上に異端を恐れて排除しようとする。
それが「窮屈さ」を生み出す。
「自由」を奪っていく。
もちろん「安全」を脅かすようなルール違反は、取り締まって然るべきだ。
しかし、「ルール違反」につながる前の前の前の「ルール違反」のような、先々のリスクに対してまで、必要以上に過敏になってはいないだろうか。
それが結果として「個性」を殺すことになり、
マイノリティの意見は取り入れられることなく、
巨大な組織は向かうべきところに向かうべくして収まっていく。
それにも限界が近づいているのではないだろうか。
これだけインフラが整ったのだから、常識にとらわれている中では、これ以上の発展は望めない。
違った個性から生み出されるものが、組織に大きな利益をもたらすことに注目されている中で、埋没した個性から光るものを見出す体制が求められている。
遠くから見たら、これだけ色とりどりの個性を持った集団であるはずなのに、みんながみんな同じことを強いられて生きている。
今の社会は、そうなってはいないだろうか。
素晴らしい「夜景」を前にして、ふと、そんなことを考えた。