「属人化」の進んだ組織、
誰かがいないと業務が進まない。
意思決定もできない。
各セクションにおいて、
人的リソースはギリギリのところで運用しているものだから、
自然と「誰か」にしわ寄せがいくのだ。
そしてその「誰か」の内には、
「不満」がどんどん溜まっていく。
「こんなにやっているのに」って、
口には出さなかったとしても自然と組織に対する要求は高まる。
そのケアをするのがマネージャーの役割だ。
そこに手を入れなければ、
「うまく回っている」ように見えたところで、
「うまく回ってなどいない」のだ。
何かの拍子にヒューズが飛んでしまったら、
もはや修復不可能、
取り返しのつかないことになる。
だから「リスクヘッジ」が必要、
余裕がなかったとしても組織として「保険」をかけておく必要があるのだ。
余程の天才であれば話は別だけれども、
一人の頭で考えることには限界があるし、
人間に手足は2本ずつしかない。
それに「人間」というものはどうしたって、
「バイアス」をかけて物事を見る。
だから「少ない人たち」が多くのことを抱え込んでしまったらさ。
そのこと自体が大きな「リスク」なのだ。
「属人化」
そうなってしまったらブラックボックスはどんどん増えて、進む方向が誤っていたとしても、間違っていることにも気が付かない。
「ティール組織」というものが幅を利かせてきたけれど、それは社会がこの「リスク」を実感している証拠なんじゃないのかな。
「ティール組織」
「立場」=「役割」であって、
それは「上下関係」ではない。
それぞれが「手足」であり「頭」
『HUNTERxHUNTER』に登場する「幻影旅団」と同じ形態だ。
「リーダー」ってのは偉いんだってさ。
本人にも気負いがあるし、
周りもそういう目で見るから、
ともすればそう思われがちだけれども、
実際のところ決してそうではない。
ただ「全体を見て指示を出す役割」というだけだ。
その「役割」自体が慕われるべき道理もなければ、
その「役割」に委縮して為すべきことを為せないなどもっての外だ。
勘違いしてはならない。
「それぞれの役割」を的確に果たすからこそ慕われるし、評価される。
そのことを理解して、
それぞれが己の役割を果たすことに時間を割いていれば、
組織には「自浄作用」が働くんじゃないのかな。
「頭」がつぶれたとしても、
次は別の手足が「頭」になる。
そのためには常に全体を意識して、
その上で「手足」が自分の役割を自覚する必要がある。
1を話せば10伝わる。
規則とか、慣習とかそんな薄っぺらいものではない。
全員が目的を共有しているのだ。
そういう組織は強い。
「やらされ根性」で続けたってさ。
「お金だけもらえればいい」って壁を作ったってさ。
働く中で自分に「積み上がるもの」がなければ、
その時間はもったいないんじゃないのかな。
きっとそういうところで差がつくんだよ。
それに気が付かないで「報われない」ってさ。
愚痴を吐きながら組織にしがみつく惨めな人生、
今はそれでいいかもしれないけれど、
将来「居場所」がなくなって余計惨めになる。
よく聞く言い訳で「社畜になりたくない」ってのがあるけれど、「社畜にもなれなかったらどこに居場所はあるの?」
なにも体を壊してまで働けというつもりはないけれど、権利を主張するならば、とことん仕事に打ち込んで、実力をつけてからでないと受け入れられるはずがない。
どうせ腰掛けのつもり、
長いこと社会で勝負する気なんかないって、
それで良ければ構わないけれど、
そうじゃないならばさ。
手足であっても「頭」として、
組織の進むべきビジョンを描きながら働くしかないんじゃないのかな。
その積み重ねの中で力はついてくる。
そして「組織」は聞く耳を持たなければならない。
それぞれの視点からしか見えないものを紡いで形にする。
プレイヤーとしての業務に追われることなく、
そこに注力できる立場が必要だ。
人的リソースの配分を間違えてはならない。
目先の利益に囚われて日常にばかり投資していたら、
将来に対する責任は誰がとることになるのだろう。
結局は先延ばしにして誰も責任を取るつもりがない。
国も社会もうまくいかないと感じているのであれば、
そこに「病理」があるんじゃないのかな。
これからどれだけの人が職を失うことになるのだろう。
もちろん私も含めてどうなるかわからない。
結局、自分の将来は、
自分で責任を取るしかないのだ。