「頑張るため」には理由が必要なのだ。
理由無くして頑張り続けることは至難の業だ。
「生活のため」
「家族のため」
「お金のため」
動機はなんだっていい。
頑張り続けるためには、頑張り続けるだけの理由が必要だ。
それがないと短期間は頑張ることができたとしても、どこかで燃料が尽きてしまう。
今の私が頑張って働いていることには、どのような動機があるのだろうか。
「家族のため」という実感は湧かないし、「お金のため」というほどお金に困ってもいない。
「生活のため」に働いているのかといえば、それはそうかもしれないけれど、わざわざ苦労の多い仕事を続ける理由を問われると、あまり結びつかない気がする。
なかなか難しい。
私が苦労して働いているのは、何のためなのだろうか。
そのことを言語化することで、少しは頑張るための燃料を補給することができるのだろうか。
「頑張っている」
そんな感覚もないくらいに、目の前のタスクをこなし続けている。
最近では英語でメールを返すことまでするようになった。
もはや、私は何を目指しているのかわからない。
地に足ついているのかもわからない。
どんどん遠くへ行っている気がする。
体は遠くに行っていなくても、
心が遠くへと離れているのかもしれない。
ということはだ。
私は地に足つけて生きていないのかもしれない。
「成長」という名の魔力に吸い寄せられて、
私の心は、体から遠い場所へと向かっているのだろうか。
挑戦が遅すぎたような気はする。
もっと体力のある時に挑戦しておけば良かった。
それは考えても仕方がない。
いつだって今が一番若いのだ。
健康的な生活を意識して、体を動きやすくしないといけない。
健康管理のための運動が必要な年なのだ。
もはや若くはない。
それでも頑張らなければならない。
私はいつまで頑張ることができるのだろうか。