先日、耳が聞こえる状態で口内の手術を受けたものだから、手術中に医者が患者のことをどのように見ているのかがわかった。
私の症例に対してアカデミックな好奇心を向けられていることがひしひしと感じられた。
一言で述べると「人格を認めていない」ということになるだろうか。
誰しも仕事として多くの場数を踏めば、それが流れ作業になる。
そうなると、患者をモノとして捉えて、やるべきことを淡々とこなした方が効率が良いのだ。
医療ドラマなんかを見ていると、雑談をしながら開腹手術をするようなシーンがあるけれど、あれは実際も日常的に行われていることなのだろう。
いちいち緊張しながら手術に臨んでいたら身がもたない。
『ブラックジャックによろしく』の中で描かれているような命のやり取りをする葛藤は、新人のうちだけで、どこかで一線を越えると、そこから先は見える世界が変わってしまうのかもしれない。
そこから先は、「医者」という別の生き物に進化するのかもしれない。
そこまでしないと、医者は医者のまま生きていくことはできないのだ。
何とも過酷な仕事だと思う。
自分をゼロから再構築して、倫理観や価値観まで既存とは違うモノを作り上げる。
その結果、どこかぶっ飛んでしまうこともあるのだろう。
それは、どの仕事も同じか。
ぶっとんでしまうほど働かなければならない仕事なんて、世の中にはたくさんある。
そうやって社会は作り上げられているのだ。
人間はもはや、無意識のうちに全体に寄与することを求めて生きているのだろうか。
種が高みに到達するために、自覚のない本能に突き動かされて、階段を駆け上がり続けているのかもしれない。
そういう生き物が人間だとすれば、医者はその中で最適化された人種ということになるのかもしれない。