宮崎駿監督というのは、一生涯を懸けて「青春」を追い求めている人なのだと感じた。
作品を作るたびに引退を宣言しては、新しい作品を作り続ける。
ただただライフワークのように作品を作り続ける。
命を削っているように見えて、監督にとっての作品作りは命を研磨する作業なのではないだろうか。
盟友・高畑勲の訃報を受けてから、目標の一つを失ってしまった。
いつまでも自分の前を走り続けていた人。
その憧れの人を失って、何を目標にしたら良いのかわからなくなった。
それでも「作品に対する姿勢は変わらない」と口にする。
それが希望なのか、本心なのか。
それとも、負け惜しみなのか。
それはご本人にもわからないのだろう。
その中で誕生した『君たちはどう生きるか』
見るものの命に響くような作品だった。
「カンブリア大爆発」を思わせるような最後のシーンは、涙が込み上げてくるほど圧巻だった。
あのシーンが宮崎駿監督の集大成なのだろう。
一区切りついた。
それでも筆を取り続ける。
もはや、絵を描いていないと生きていられない人なのだろう。
最後の最後まで、監督は書くことをやめないのかもしれない。
「生涯現役」
言うは易しだ。
本当の意味で、それを貫くことのできる人生を生きた人は幸せなのかもしれない。
それだけ情熱を傾けられることと巡り合うことができたのだから。
「人生の大半は暇つぶし」
だと言う人がいる。
多くの人にとって、それは一つの真理なのかもしれない。
しかし、一心不乱に休み暇もなく、命を燃やし続ける人がいる。
世間的には評価を得ていない人の中にも、そう言う人はたくさんいるはずだ。
その中で一瞬の充実感を味わうことができるならば、それは人生にとって、この上ない価値のあることなのだろう。
だからこそ、苦労をし続けてでも追い求める。
自分でも正体のわからない何かに突き動かされるように、前に進み続ける。
ある種、今の私もそうなのかもしれない。
正体のわからない使命感に突き動かされて、自ら忙しい方向へと突き進む。
嫌気がさしながらも歩みを止めることはない。
時には大言壮語を吐いてみたりして、自分で自分を追い込んでいく。
どうせやるならば主体性を持って取り組んだほうが幸せだ。
「プロフェッショナル」
その言葉を贈られる人たちは、例外なく得体の知れない使命感に従って生きているのかもしれない。
人生の価値は、その人がどれだけ充実感を得たかで決まるのかもしれない。
努力をしなければ、充実感を得ることはない。
だから人は、それを求めて突き進むのだ。
「生きている意味」を掴み取りたいと願って。