表向きはうまく対応できたとしても、その対応に心がこもっていない。
自らの対応を振り返ると、そういう対応をすることが増えたように思う。
それでは単純にスキルでありテクニックだ。
本当の意味で人として成熟しているとは言い難い。
目の前の人の苦労に思いを馳せて、心からの感謝を自然と伝えられる人。
私はそういう人を目指したい。
年を重ねるほどに、経験を積み重ねるほどに、自然と「あるべき立ち振る舞い」は身につく。
しかし、本当に大切なのは、その振る舞いの奥にある気持ちがどこに向いているのか、ではないだろうか。
心にもない感謝を口にするたびに、心はすり減っていく。
その感覚を忘れてはならない。
人は、習慣化により手にするものがあると同時に、それにより失うものもある。
態度まで自動化してしまったならば、心が動かなくなる。
心の動きやすいボーナス期は誰しもに訪れる。
新しいことに挑戦を始めた頃は、不安が大きくたくさんの人に支えられていることを実感しやすいため、心からの感謝を口にできる。
しかし、それが当たり前になってしまうと、オーナス期が訪れて、支えてもらうこと自体が当たり前になってしまうのだ。
「忙殺」
人は忙しさに心を殺されてしまう。
その状態が長く続くと、心が死んでしまったことにも気が付かなくなる。
どんなに忙しかったとしても、心の悲鳴に鈍感にならないように注意したい。
死んでしまったら最後、再び息を吹き返させる事は簡単ではない。
今年は、忙しさまで楽しめるような一年にしたい。
来年のこと時期には、幸せが溢れていることを信じて。