自分がつまらない人間になっていく気がする。
社会のルールに縛られて、ルールに反することは考えることもしなくなる。
いかに波風を立てないか、常に周りの調整を目的に動き、波風が立ちそうなところには根回しする。
そんなことに終始することに疲れてしまう。
「働く」ということは、そういうことなのだろうか。
新雪に足跡を刻むようなことを憚られるような環境に辟易する。
組織が大きくなればなるほど、ルールで人を縛った方がコストはかからない。
「多様性を認めること」にはコストがかかるのだ。
言われた通りに、評価されるであろう方法で、個性など表に出すことをせずに、ただ淡々とタスクをこなしていることが求められる。
それが一番楽なのだ。
面倒な社会要請は、形ばかりのプロジェクトチームでも設立して、取り組んでいることにしておけば良い。
そのポーズもまた必要なこと。
指摘を受けないように、波風が立たないように、組織自体がそれを目的に動いているのだから、そこで働く人も同じように動くのは当たり前のこと。
私もそれに染まっていく。
そこに信念があったとしても、めんどくさいことから逃げるようになっていく。
波風を立たせないように調整することが仕事なのだ。
仕方がないのかもしれない。