「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「教えを乞う」時の姿勢について

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ある種の地位を確立してしまうと、

多くの場合「傲慢さ」が顔を出す。

それを如何に飼いならすか。


それが地位を手にした者の、

最初にして最大の課題なのだろう。


「人格者」と搾取される「お人よし」


そこには共通点がある。

根底にあるものは「謙虚さ」だ。


「謙虚」なだけでは搾取されるけれど、

「謙虚さ」がなければ「暴君」と化してしまう。

バランスが大事なのだ。


私が思うに、

大事なことは「主体的な謙虚さ」だ。

要は「自身の成長のために教えを乞う」という姿勢を忘れないこと、


「受動的な謙虚さ」


与えられたことに対して、

不平不満をこらえて取り組む。


そういうことが必要な場面もあるけれど、

それがつけ入る隙になってしまうと、

「こいつには押し付けても大丈夫」


そうやって「搾取」の対象となる。


それとは逆に、

「主体的な謙虚さ」


それをぶつけられた側からすれば、

「必要とされている」「存在を認められている」

そういうことになる。


いわば「居場所」を与えられるのだ。

ある種の共存関係、

自分の地位があればあるほど効果的だ。


そうやって味方を増やしていく。

「好意の返報性」ってやつだ。


だから「搾取」の対象になりにくい。

そういう道理、


だけれども気を付けなければならない。


「教えを乞う」姿勢、

それによっては逆効果になる。


・相手の状況を考えること

・「教えていただく」のだ。相手に敬意を持つこと

・ゼロベースではなく必ず持論を持っていき、

 それに対するアドバイスをもらうようにすること


そういうことを忘れてはならない。


ここ最近の私は、

自尊心を損なっていたから、

酷く傲慢だったように思う。


自分の価値を認めてあげられていないと、

「謙虚」とは真逆の方向に引きずり込まれていく。

「傲慢」で攻撃的になる。


いくら「ストレス要因」に晒されながら働いていても、

これでは損をするばかりだ。

態度を改めなくてはならない。


私は昔から物事を「俯瞰」するあまり、

「人を軽んじる」ところがある。

相手の立場に関係なく全体の最適解を主張するのだ。


その「私の目に見える範囲」からの最適解にそぐわないと、

持論を振りかざして相手を屈服させようと謀る。


だけれども、

それは「私の目に見える範囲」でしかないのだ。


立場によって見え方は変わるし、

場合によっては全体の最適解も変わる。


下がり切った自尊心が目隠しする。

見える範囲はどんどん狭まっていく。


「悪循環」

視野を広く持たなければならないな。