ある種の地位を確立してしまうと、
多くの場合「傲慢さ」が顔を出す。
それを如何に飼いならすか。
それが地位を手にした者の、
最初にして最大の課題なのだろう。
「人格者」と搾取される「お人よし」
そこには共通点がある。
根底にあるものは「謙虚さ」だ。
「謙虚」なだけでは搾取されるけれど、
「謙虚さ」がなければ「暴君」と化してしまう。
バランスが大事なのだ。
私が思うに、
大事なことは「主体的な謙虚さ」だ。
要は「自身の成長のために教えを乞う」という姿勢を忘れないこと、
「受動的な謙虚さ」
与えられたことに対して、
不平不満をこらえて取り組む。
そういうことが必要な場面もあるけれど、
それがつけ入る隙になってしまうと、
「こいつには押し付けても大丈夫」
そうやって「搾取」の対象となる。
それとは逆に、
「主体的な謙虚さ」
それをぶつけられた側からすれば、
「必要とされている」「存在を認められている」
そういうことになる。
いわば「居場所」を与えられるのだ。
ある種の共存関係、
自分の地位があればあるほど効果的だ。
そうやって味方を増やしていく。
「好意の返報性」ってやつだ。
だから「搾取」の対象になりにくい。
そういう道理、
だけれども気を付けなければならない。
「教えを乞う」姿勢、
それによっては逆効果になる。
・相手の状況を考えること
・「教えていただく」のだ。相手に敬意を持つこと
・ゼロベースではなく必ず持論を持っていき、
それに対するアドバイスをもらうようにすること
そういうことを忘れてはならない。
ここ最近の私は、
自尊心を損なっていたから、
酷く傲慢だったように思う。
自分の価値を認めてあげられていないと、
「謙虚」とは真逆の方向に引きずり込まれていく。
「傲慢」で攻撃的になる。
いくら「ストレス要因」に晒されながら働いていても、
これでは損をするばかりだ。
態度を改めなくてはならない。
私は昔から物事を「俯瞰」するあまり、
「人を軽んじる」ところがある。
相手の立場に関係なく全体の最適解を主張するのだ。
その「私の目に見える範囲」からの最適解にそぐわないと、
持論を振りかざして相手を屈服させようと謀る。
だけれども、
それは「私の目に見える範囲」でしかないのだ。
立場によって見え方は変わるし、
場合によっては全体の最適解も変わる。
下がり切った自尊心が目隠しする。
見える範囲はどんどん狭まっていく。
「悪循環」
視野を広く持たなければならないな。