そういうお年頃なのだろうか。
なかなか疲れが取れない。
ギラギラした若手たちのギラギラした視線を痛く感じる。
かつては私もどちらかといえばギラギラしていた方だった自覚はあるけれど、今は若手を見て「そこまで頑張らなくても良いのに」と感じるスタンスに変わってしまったのだ。
「やる気が希薄」であることに対して責めるような視線。
それを向ける側だった私は、向けられる側に変わった。
多くの人にとって「余白」を持たずになりふり構わず突き進むことのできる期間は短い。
宮崎駿監督が『風立ちぬ』で登場人物に語らせていた「創造的人生の限界は10年」という言葉が印象深い。
誰しもに、いつまでも情熱を持って、いつまでも努力を続けられる、そんな魔法のような期間が存在するのだろう。
その魔法にかかられたまま、体の悲鳴に気が付かないでいると、どこかでオーバーヒートしてしまう。
そういう経験を経て、多くの人の「創造的人生」は終わりを告げるのかもしれない。
それを経験した後なのか、前なのかで、見える世界は大きく変わるのだ。
だから私はギラギラした視線を向ける側から向けられる側に変わった。
体だけでなく、心がついていかないことを実感する。
そろそろ天井が見えてきたのだろうか。