仕事で遠隔地の人とやり取りをすることがある。
社内だとオンライン会議では画面を切っていることが多いから、相手の容姿はわからない。
先日、いつも仕事のやり取りをしている女性と初めて対面で会った。
第一印象は「綺麗な人だな」だった。
なんだか妙に緊張するくらいだった。
そうなると、画面越しでも印象が変わってしまう。
これから私は、画面越しでもこの緊張を持って仕事をしなければならないのだろうか。
そう考えると、これは知らない方が良かったことなのかもしれない。
特に何かを期待しているわけではないけれども、綺麗な女の人は苦手だ。
過去のトラウマからなのか、緊張感が生まれてしまう。
今はオンラインが発達したものだから、相手のことを知らないまま関わり続ける機会が増えた。
余計な情報を削ぎ落として、ただ仕事相手として向き合うことのできる関係は、もしかしたら効率化につながっているのかもしれない。
しかし、それはなんとも不自然なもの。
人が抽象化されて、必要な情報以外は削ぎ落とされていく。オンラインだけの関係というものは、プライベートでも増えている。
画面の先にいる人も、自分と同じ人間だということに、想像力を働かさなければならない。
それを忘れてしまったならば、人類は仕事の大半をAIに取って代わられてしまうのかもしれない。
ただ正確なアウトプットだけが欲しいのであれば、効率の悪い人間関係に気を煩わされる必要はないのだ。
しかし、その煩わしさの中に垣間見える人間らしさに安心するところもある。
そういうものを全て削ぎ落としてしまったら、仕事の時間はなんとも味気のないものに変わってしまう。
私たちが最終的に求めているものは、効率的な仕事ではない。
私たちが最終的に求めているものは、心の豊かさだ。
動機はどうあれ、仕事をすることで心が豊かになるのであれば、こんなに素晴らしいことはない。
自分が組織にとって「重要な働きをしているのだ」と信じられることで、その心の豊かさは生み出されるのだ。
「部品」としての役割だけをこなしていても、そこに価値を見出せなければ、ただ対価を得るために時間を差し出しているだけで終わってしまう。
私は、少しでも働く時間を私の人生にとって価値あるものにしたいと思う。
初めて対面で会った綺麗な女性に、心の揺らぎを感じることもまた、程よいスパイスなのかもしれない。
それはそれで良い経験なのだ。