「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

お別れをしてきました

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なんとも呆気ないものなのだなぁ。


もともと小さかったけれど、

もっと小さくなってしまった。


大好きだったご飯とおもちゃ、

それにお花に囲まれて、

命だけではなく体も逝ってしまったのだなぁ。

 

またも24日、

私の転機は月の24日ばかりに起こる。

不思議な巡り合わせ、

 

まだしばらくは思い出してしまうかな。

ふとした時にいつもは飛んで来るはずのあの子が来ないことの寂しさ、

それを思い出しては悲しみがこみ上げてくる。

 

写真をたくさん撮っていた。


携帯の待ち受けもあの子、

すぐに変えるのも忍びないから、

しばらくはこのままかな。


時の流れと共に受け入れて、

時の流れと共にいないことが当たり前になっていく。


その存在を覚えている限りは、

私の中で生き続けるのかな。


その小さな体で精一杯生きる姿を見せてくれて、

色んなものをくれたから、


最後の最後まで命を燃やして、

最後の最後まで一生懸命に、

生きていたんだよな。


ありがとう。


気まぐれで自由な子だったけれど、

おねだりの時は辛抱強かった。


だから私が幸せになるには、

まだまだ時間がかかるかもしれないけれど、

辛抱強く見守っていてね。


もしも将来、

新しい命を授かることになったならば、

そうしたらまたうちに生まれてきてくれるのかな。


それはわからないけれど、

どこかで知らないうちにまた会えるのかもしれないね。


ありがとう。

本当にありがとう。


また会う日まで、

さようなら、

 

疎結合と密結合

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関わりが深ければ深いほど、

離れるのに痛みを伴う。

体の一部になってしまうから、


密結合とでもいうのかな。


だからって、

色んなものと自分を切り離して、

「自分とは関係ありません」って、

そういう生き方をしていたら、

虚しさばかりを感じてしまう。


痛みを伴うことになっても、

人は何かと繋がらないと生きてはいけないのだ。


それを失いたくないから必死になって、

それを奪われようとするから怒りが生まれて、

「自分らしさ」を守るために人は生きているのかな。


心を動かし続けるのだ。

そうして喜びも悲しみも、

痛みや怒りさえも自分の一部として受け入れる。


「生きる覚悟」って、

きっとそういうもの、


何かがあるたびに振り回されて、

心を揺さぶられて、

痛みを感じて、


そういう経験ばかりしていると、

心を動かすことを恐れて、

心が動かないように努めるようになる。


「生きてきた証」


そういうものって心を動かすから見えてくるはずなのにね。


頑張っている人を嘲笑ったりだとか、

「どうせ無理」って決めつけたりだとか、

どこか冷ややかな目で見て、

無駄な労力は使わないってかっこつけて、


シニシズム

冷笑主義ってやつ、

 

熱くならないことで、

諦めてしまうことで、

自分を守ろうとする。


周りと自分を切り離して、

心が動かないように無関心を決め込む。

世の中に期待などしていないから、

 

疎結合ってやつ、


そうやって心を過保護にしても、

心の虚しさは埋まってはくれないよ。


色んなものと繋がって、

それを手放すたびに痛みを感じて、

人生ってその繰り返し、


先回りばかりして、

損をしないようにって、

苦しい思いをしないようにって、


リスクを避けて、

コスパばかりを気にして、

動かない理由ばかりを探して、

 

そんな人生に何が残るのだろう。


痛みを感じて、苦労して、

もがきながら一日一日を積み重ねていく。


いいじゃないか。

生きてるって感じがして、


穏やかに生活できることが幸せ、

だけれどもそれって移ろいやすいもの、


心を強くしてあげて、

穏やかでも幸せ、

大変でも幸せ、

いつだって幸せ、


そう思えるようになれたならば、

人生の課題の大半はクリアしたようなものなのかな。


いや、そんなに甘くはないな。


人生には思いもよらぬことがたくさん起こる。

その度にそれと向き合って、

日々を積み重ねていくしかないのかな。

 

クリアなんてできない無理ゲーなのかもしれないな。

それでも最後は悔いなく逝く。


生きるって大変なこと、

 

 

不自由な二択

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愛犬が亡くなる直前、


医師からは二つの提案があった。


一つはこのまま入院して治療を続けること、

それでも経過が良くないので、

頑張れる見込みは1割くらいだと思ってくださいとのこと、


そしてもう一つはこのまま家に連れて帰ること、

このまま酸素ケースから出したら急変する確率は高く、

もしかしたら家まで持たないかもしれませんとのこと、


私たちは前者を選んだ。


必死で生きているから、

抱きかかえてあげたいと思うけれども、

そこから出たら死んでしまうんだよ。


1割助かるならば大丈夫、

そう思ったから、


だけれどもそこから2時間くらいしか持たなかった。


最後の時間、

「帰りたいよ」って、

あの子は最後の力を振り絞って立ち上がった。

命を削ってでも温もりを与えてあげればよかったのかな。


だけれども1割に懸けて、

また一緒に遊べるようになるかもしれない。

もしもこのまま外に出したら助かった命を終わらせてしまうんじゃないかな。


不自由な二択、

どちらを選んでも後悔するのだ。


それならば結果を受け入れるしかないな。

葬儀まではまだ家にいるから、

もう伝わることはないけれども、

たくさんの温もりと感謝を浴びせてあげよう。


生きている人が幸せになるために死はある。

死を乗り越えて強く輝いて、

その後の生をより充実させるのだ。


それが何よりの弔い。


悲しみに暮れる時間は避けられないけれども、

そのまま終わってしまったら、

死に対して失礼だ。


そう思う。


だからこれを機に、

悲しみに暮れながらも、

また強く生きたいな。


苦しみは、

あの子が全部持っていってくれたから、


小さい体で、

一身に背負って、

持っていってくれたから、


私たちが、

悩むことなく、

明るく前に進めるように、

最後まで一生懸命に生きてくれたから、


幸せにならないと、

 

愛犬が亡くなりました

 

ひとつ落ち着いたと思ったら、

また試練が顔を出す。


30過ぎてからはそんな繰り返しだ。

いつか穏やかな日は来るのだろうか。


昨日、実家の愛犬が亡くなりました。

チワワ オス 9さいでした。


まだだいぶ動揺しているけれど、

気持ちを落ち着けるために文章にします。


長いこと実家にいたし、

実家の近くに住んでいるので、

帰るたびに遊んでいた。

ついこの前、遊んだ時は元気に飛び回っていたのに、


午前中は、

少し様子がおかしいものの心配するほどではなかったみたい。


念のため病院に連れていくと、

簡単な診察と薬で様子を見てください程度だったそう。


しかし午後になると急変して、

そのまま入院となったみたい。

仕事から帰ってしばらくすると母親から連絡があった。

危篤とのこと、


その連絡まで調子を崩していたことすら全然知らなかった。

それくらい急なことだった。


検査は定期的に受けていたし、

それまで病気と言われたことはなかった。

それなのに急に逝ってしまった。


最後にひと目会えたけれど、

酸素ケースの中で呼吸するのも苦しそうにしていた。


最後の最後まで命を燃やしていた。


家族で対面すると、

本当はもう力なんて残っていないのに、

小さな声で吠えた。

医師からは「呼吸が辛くなるから吠えないで」って言われていたけれども、

何度も何度も小さく吠えていた。


私がケース越しに顔の前に指を出すと舐めようとしてくれた。

もちろんケースが邪魔をして舐められない。


いつもペロペロとしつこいくらいに舐めてくれていた。

だけれども最後は舐めさせてあげることはできなかった。


医師から説明を受けた。

病変はあるもののそこまで酷いものではなく、

複合的な要素で呼吸が苦しくなっているとのこと、

薬の効果が見られなく目に見えて衰弱しているから、

覚悟したほうがいいとのこと、


医師もまさかと思うほどの急変だったみたい。


命限りあり、

時間は有限なのだな。

そういうことを教えてくれているみたい。


本当の最後の最後、

別れ際、最後の力を振り絞って立ち上がった。


「帰りたいよ」って合図なのはわかる。

だけれども帰れないんだよ。

胸が張り裂けるような思いだった。


それから一度帰って2時間ほどして、

母親に連絡があった。

「たった今息を引き取りました」とのこと、


それから迎えに行って、

亡骸を触るとまだ温かかった。


半分目は開いていて、

寝ているだけのようだった。


いつもは寝ている時にちょっかいを出すとすぐに起きて、

「お腹をさわれ」と腹ばいになる。

お腹を撫でてやると気持ちよさそうにして、伸びるような仕草をしたあとにまた寝そべる。


だけれどもいくら触っても反応はない。


いつもはせわしなく動かしている耳も全く動かない。

頭を撫でても、鼻を触っても、

もう嫌がるそぶりはしない。


小さな体で、

全身の色んな器官をフル動員して、

一生懸命に生きていたんだよな。


少し前から泣いていたけれど、

対面した途端は堪えきれなかった。


触ってみて実感した。

もういなくなっちゃったんだなって、


私が絨毯に横になると、

すぐに寄ってきてお尻をつけてくる。


ご飯の時間が近づくと、

調子良く足元に寄ってきてアピールをする。


会うなり「遊べ」って、

おもちゃを持って足元に置く。


冷蔵庫を開けるだけで、

「何かくれるのかな」って期待して、

じっと見る。


テーブルでご飯を食べていると、

「何か落ちてこないかな」って、

辺りをクンクンと嗅ぎ回る。


臆病で怖がりなくせに、

自由で媚びない。

何かをして欲しい時にだけ、

調子良くおねだりする。


そんな子だった。


そんな姿をもう見られないんだな。

そう思うと涙が止まらなかった。


使命を果たして、

急に逝ってしまったんだな。

もうこちらでやることはなくなったのかな。


昨日は実家に泊まって、

亡骸の隣の部屋で一夜を過ごした。

いつも一緒に過ごした部屋で、

 

ふりしきる雨の音を聞きながら、

空まで涙を流してくれるよう。

この雨がすべての辛さを洗い流してくれるかな。

そんなことを考えて過ごした。

 

何度も目が覚めて、

その度に少しずつ受け入れて、

気がつくと朝を迎える。

そんな夜だった。


だけれどもこれも何かを教えてくれている。


一生懸命に生きるってこと、

自分のことを一番に生きるってこと、

生きるって大変なんだってこと、

命限りありってこと、


試練ばかりが続くのだ。

乗り越えて大きくなるしかない。


だから今は思う存分悲しんで、

思う存分思い出に浸って、

思う存分感謝するしかない。


素敵な思い出の1ページにおさめるために、

逃げてはいけないのだ。


向き合おう。

 

500の記事を書いて

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昨日の記事で500となりました。

なんだか大台に乗った感はありますが、

気持ちを吐き出す目的で始めたブログ、


その辺りの欲求は少々下降気味、

自分の外側にばかり興味が移っています。

現実逃避ですかね。


400の記事を振り返ると、

幸せの絶頂だったみたいですね。

好きな人とのデートを終えた直後、

将来に対する希望に溢れていました。


そこからわずか3ヶ月余りで、

こんな状況、

なかなかうまくいきません。


これから好転する気配もないですし、

心はすさむ一方、

街を歩くカップルを見るだけでイライラし、

現実逃避の方法ばかりを探しています。


夢中になれるものを増やしたい。


そうやって外に目を向けていれば、

自然と状況は変わってくるのか。

待っているだけでは変わらないのか。


紹介の話がありました。

来月会うことになりそうです。


変に出会いを重ねたものだから、

私の中でハードルが高くなり過ぎて、

あまり気乗りはしませんが、

せっかく時間を割いていただけるので、

誠実に応えたいです。


余程じゃないと心は動かない。

もはや一人を受け入れ始めている。

動けば動くほどにハードルは高くなる。


夢ばかりを見させられるから、

いつもいいところまでいってうまくいかない。


どのような結末になるかわかりませんが、

気が向いたら引き続きお付き合いください。


いつもご覧いただき、

またスターやコメント、ブックマークまでいただき、

本当にありがとうございます。

 


ラグビー終わってしまいましたね。

 

負けても次の舞台へ、

勇気をもらいました。

 

感動をありがとう。

 

少しずつ変わっていく

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体調も性格も好みのタイプも、

すぐには変わらないのだ。


色々と試してみて、

効果があるかどうか意識しているうちはダメ、


それを習慣にして、

気がついたら変わっている。


だから新しい習慣って、

それくらい自然に継続できることじゃないと、


とんでもなく好みのタイプの女性を、

とんでもなく嫌いになった。

 

とても長い時間をかけて少しずつ、


人の気持ちってすぐには変わらない。

だけれども本当に変わりたいと思うならば、

時間はかかるけれど変わることはできる。


ゆっくりと少しずつ、

長い時間をかけて、


変わろうとして習慣を組み立てて、

変わろうと思わずに自然と習慣に身を委ねる。

そうして気がつけば変わっている。


習慣って、

思う以上に力がある。


「変わりたい」


そう思うならば、

まずは習慣を変えないといけない。

そしてそれに身を委ねる。


これまでの習慣が積み重なってできた今の自分、

習慣を変えることは思いのほか大変なこと、


ドキュメンタリーなんかは、

いい部分だけを切り取るけれど、

その裏には何十倍も見えない苦労がある。

 

「感動ポルノ」

 

人の人生は手軽に美談にできても、

自分の人生ってそんなに簡単じゃない。

 

だけれどもどこかに希望は隠れている。

 

時間をかければ痺れを切らして、

きっと希望の方からチラチラと、

こちらの様子を伺ってくるはず、


そうなるまで辛抱しなければいけない。

長い間、何かに身を委ねて、

 

気がつけば幸せになっている。

だから幸せに気がつかない。


人生って、

きっとそういうもの、

 

いだてん

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今年の大河ドラマ『いだてん』


来年の東京オリンピックを意識しての企画だけれども、

兎にも角にも不人気のようだ。


ラグビーW杯、

スコットランド戦の裏で、

大河ドラマ史上最低の視聴率を更新したらしい。

しかも自身の5.0%を塗り替える3.7%とのこと、

その前も自分って圧倒的な不人気、


それでもって、

翌週は日程を変更してBSの予定だったラグビー南アフリカ戦を放送する。


完全にラグビーに食われた形、

まあ、この流れならば何を予定していても40%を見込めるラグビーを放送するだろうけど、


大河はここしばらく毎回見ている。

『いだてん』だって見ていると悪くはないと思うんだけどなぁ。


主役はいささか地味かもしれないけれど、

まさかのビートたけしまで出ている。


クドカンらしい「抜け」を出した上で、

絶妙なシリアスさを表している。


戦争に対する怒りだったり、

オリンピックに傾ける情熱、

競技に対する熱意、

そういう物を実によく描いている。

 

「日本を元気にしたい」

 

災害復興などで、

よく聞くようになった言葉だけれども、

昔からそういう志を持っていた人がいたのだ。

これってすごいこと、


「スポーツの力」


私もラグビーやバレーに力をもらったけれど、

昔から続く系譜、


どんどんシェアを広げていって、

色んな分野で日本のスポーツは力をつけてきている。

もはやスポーツ大国と言っても過言ではないだろう。


「日本がどうやってスポーツ大国に成り上がったのか」


その走りの部分から描いている。


多くの人の熱意に支えられて、

ここまでたどり着いたのだ。


国立競技場が関東大震災の被災民受け入れに使われたなんて知らなかったし、

オリンピック開催地を巡って、

日独伊の思惑が絡んでいたことも知らなかった。


政治とスポーツ、

そういうしがらみって昔からあったのだな。


それに葛藤しながら、

臥薪嘗胆して耐えて、

64年の東京開催にこぎつける。


『いだてん』


ようやく終戦を迎えて、

これから64年に向かうところ、


もう終盤だけれども、

ラグビーにお熱ならば、

見てみるのも悪くないと思うよ。


悲惨なことがたくさんあって、

それをなんとか乗り越えてきて、


それどころかバネにして、

大きくスポーツ大国へと飛躍した。


日本人のマインドって、

やっぱりすごいんだなって思う。