「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

そうするしかない

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「諦めて別の道を進めばいい」


傍から見ればいとも簡単なこと、

だけれども当人からすればそれができない。


そういうことってままある。


すっぽりと穴にハマってしまい、

身動きを取ることができない。


代わりの何かで埋めようとしても、

どこかピタリとハマらない。


そういうのって時が解決してくれるのかな。


依存症に近いのかもしれない。

そうなると治療は難しい。


0.0000001%の成功率に懸けて、

諦めないのも一興、

その先の成功を掴むことで英雄ともてはやされる。

そういうこともあるかもしれない。


「現実を見なよ」


多くの場合はその言葉を繰り返し浴びせられて、

軌道修正を始める。


後になればなるほど、

取り返しがつかなくなるのだから、


「夢を追う」って、

一種のギャンブルなのかもしれない。


成功者の影には死屍累々、

なんとも悲惨な光景が広がっている。


メディアは目立つところにしかスポットライトを当てないけれど、

今は少し調べるだけで死屍累々側の情報は手に入る。


「将来の夢は公務員」


それだって努力が必要だけれども、

「夢」としてときめくものはない。

「夢のカタチ」って大きく変わっているのかもしれない。


ドラマ『同期のサクラ』

私の夢は「ふるさとの島に橋をかけること」


その夢は叶わなかったけれど、

その後に新しい夢を打ち立てた。


私の夢は「私と同じように多くの人が信じ合える仲間を持つこと」


7話までは良かったのに、

取って付けたような終わり方に辟易した。


「仲間」たちは急にサクラを煙たがる。

「仲間」って言っても、

結局はそれぞれに生活があって独立した個人なのだ。

密結合しすぎると煩わしくなる。

最後は自分の足で歩くしかない。


そういう持っていき方かと思いきや、

最後は仲良しごっこで終わる。


「夢」って変わるもの、

それを受け入れられる柔軟性が必要、

「夢」に縛られて不幸になったら元も子もない。

 

例えコロコロと夢を変えることになったとしても、

真剣にそれに取り組んでいればそれでいい。

「夢」それ自体が道標なのだ。

 

人は目的がなければ生きてはいけない。

だから自分で自分の道標を奪い取ってはいけない。

取ってつけたようなものであっても、

そういうものは必要なのだ。

 

「夢を持とう」


自分を幸せにしてあげられるのは、

自分でしかないのだから、

 

だけれども、

安易に「夢を持とう」だなんて、

そんなことを言う奴は信用してはいけない。

 

こればかりは自分で決めないと、

どこにもいけなくなってしまう。