「諦めて別の道を進めばいい」
傍から見ればいとも簡単なこと、
だけれども当人からすればそれができない。
そういうことってままある。
すっぽりと穴にハマってしまい、
身動きを取ることができない。
代わりの何かで埋めようとしても、
どこかピタリとハマらない。
そういうのって時が解決してくれるのかな。
依存症に近いのかもしれない。
そうなると治療は難しい。
0.0000001%の成功率に懸けて、
諦めないのも一興、
その先の成功を掴むことで英雄ともてはやされる。
そういうこともあるかもしれない。
「現実を見なよ」
多くの場合はその言葉を繰り返し浴びせられて、
軌道修正を始める。
後になればなるほど、
取り返しがつかなくなるのだから、
「夢を追う」って、
一種のギャンブルなのかもしれない。
成功者の影には死屍累々、
なんとも悲惨な光景が広がっている。
メディアは目立つところにしかスポットライトを当てないけれど、
今は少し調べるだけで死屍累々側の情報は手に入る。
「将来の夢は公務員」
それだって努力が必要だけれども、
「夢」としてときめくものはない。
「夢のカタチ」って大きく変わっているのかもしれない。
ドラマ『同期のサクラ』
私の夢は「ふるさとの島に橋をかけること」
その夢は叶わなかったけれど、
その後に新しい夢を打ち立てた。
私の夢は「私と同じように多くの人が信じ合える仲間を持つこと」
7話までは良かったのに、
取って付けたような終わり方に辟易した。
「仲間」たちは急にサクラを煙たがる。
「仲間」って言っても、
結局はそれぞれに生活があって独立した個人なのだ。
密結合しすぎると煩わしくなる。
最後は自分の足で歩くしかない。
そういう持っていき方かと思いきや、
最後は仲良しごっこで終わる。
「夢」って変わるもの、
それを受け入れられる柔軟性が必要、
「夢」に縛られて不幸になったら元も子もない。
例えコロコロと夢を変えることになったとしても、
真剣にそれに取り組んでいればそれでいい。
「夢」それ自体が道標なのだ。
人は目的がなければ生きてはいけない。
だから自分で自分の道標を奪い取ってはいけない。
取ってつけたようなものであっても、
そういうものは必要なのだ。
「夢を持とう」
自分を幸せにしてあげられるのは、
自分でしかないのだから、
だけれども、
安易に「夢を持とう」だなんて、
そんなことを言う奴は信用してはいけない。
こればかりは自分で決めないと、
どこにもいけなくなってしまう。