「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

吉本ばなな『哀しい予感』

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いくつかの吉本ばななさんの作品を読んで、

とても感じること、

 

文章にみずみずしさがある。

言葉の選び方は天性のものだろう。

「じん」と心の芯に響く。


このような文章を書けるようになりたいものだ。


最初期の作品、

荒削りさがそのまま勢いとなり疾走感を生む。

テーマは「知らなくて良いことなど何一つない」


19歳の「私」と30歳の叔母の話、

だけれども「私」と叔母は実の姉妹、

 

小さい頃に事故で両親を亡くし、

親戚に引き取られた「私」

それを拒む姉、

そうして二人の関係性は姪と叔母になった。


自分が引き取られたという記憶はないが、

叔母として存在する姉に対し、

心惹かれるものを持つ、


義両親からの惜しみない愛を受けて、

血の繋がらない弟に男としての魅力を感じながら、

どこか満たされない生活を送っていた。


ふとした違和感の積み重ね、

叔母に感じる「何か」を信じて、

家を出て叔母の家に転がり込む。


そこで明かされる忘れていた家族との絆達、

叔母はその世界から抜け出せずに、

幻想の中で生き続けていたのだ。


音楽教師をしていた叔母は、

元生徒である19歳の恋人と惹かれ合うも、

幻想から抜け出すことを恐れて逃げ続ける。


何か面倒なことがあると、

全てを「無かったこと」にして、

幻想に閉じこもり続けるのだ。


突如失踪した叔母を、

弟と共に探す中で気がつく、

叔母との絆や弟に対する恋心、


「自分で作り上げた理想を、

世界に合わせて変えることのできない不器用さ、

そしてその不器用さに感じる愛しさ」


そんな感情を呼び起こしてくれる。

 

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「欠落感」には、

どこか魅力がある。

人の心を惹きつける何かがある。


それは誰もがどこかに、

言葉にできない「欠落感」を抱えて生きているからなのか。

 

パズルの枠がなければ、

足りないものもわからない。

 

だからそれを大事に大事に抱えて、

手放したくても手放せない。

そうやって生きているからだろうか。

 

「渇望」

 

足りないところを何かで補うために、

欠けているところばかりにこだわって、

そうやって生きる。


ルサンチマン」からの自己超克、

それがニーチェの結論だ。


「超人」


彼はそんな呪いの言葉に囚われて発狂した。

最後を迎えるまで意思の疎通すらままならなかったようだ。


理想を捨てきれずに、

「自ら作り上げた理想」に殺されてしまった。


少なからず人って、

そういう部分がある。


「無駄な努力」と分かっていても、

その「無駄な努力」を止められない。

それが「人間味」ってやつなのかな。


そんな「欠落感」から感じる愛おしさ、

それを乗り越えるのではなく、

それを受け入れることが人生なんじゃないかな。


真面目な人ほど、

「努力教」の信者になる。


「神」への信仰を捨てたとしても、

「努力」の虜になるのだ。


結局、人は何かを信じていないと生きてはいけない。

多くの人にとって一番身近なものが、

「自分の掲げた理想」なのだ。


だから人はそれの虜になる。

そうして「努力教」に入信する。


だけれども、

経験を積み重ねるにつれて、

徐々にその理想を手放す。


ある意味ではそれが「成長」

俗に言う「大人になる」と言うことだ。


それが出来ないと社会にコミットできない。

そうやって社会に飼い慣らされていく。


最後は自分で選び取るしかないのだ。


「自分の生き方」というものを、

自分の頭で考えて、

自分の足で立って歩いて、


努力の必要な場面はいくらでもある。

その時にチャンスを掴み取れないと惨めさを味わうことになる。


努力しすぎてはならない場面もある。

自分の心を守るために、

身を引くことが必要なこともある。


答えなどない。

全ては自己責任、


BUMPOFCHICKEN『涙のふるさと』


「逃げてきた分だけ距離があるのさ

愚痴るなよ自業自得だろ

目的地はよく知ってる場所さ

わからないのかい。冗談だろ?」


話を戻そう。


『哀しい予感』での物語の最後、

 

全てが終わってしまった地で、

「私」と叔母は元いた場所に戻る決心をする。

現実世界に帰る。


幻想との決別、

ある意味では「大人になること」を選んだのだ。

自分の頭で考えて困難と向き合う。

自分の足で困難を乗り越える。


障害はいくらでもある。

戸籍上の弟との恋路、

健全な元教え子との恋路、

幻想に逃げていた分だけ距離のある戻り道、

 

道、道、道、

人は生きている限り、

道を歩き続けるのだ。


愛する人たちのもとに戻って、

傷ついたとしても、

傷つけたとしても、

欲しいものを手に入れるために、

新しい居場所と真実の愛を手に入れるために、


「知らなかったことを知る」


その全てを受け止めて、

前に進むのだ。

 

例え180度方向転換したとしても、

その一歩を踏みしめた先は「前」だ。

「前」に進むのだ。