ちょうど一年前に書いた記事、
この記事を書くことがブログを書く目的の一つだったように思う。
それくらい私にとっては大きかった記事だ。
4年、
こうして私はいつまでカウントを続けるのだろう。
この経験、
そのエッセンスは手放してはいけないことなのだろうけれども、
過去のこととして、
もう十分に手放してもいい頃合いだ。
5月24日、
だけれどもこうして今日も、
その日を迎えた回数を数え続けるのだ。
人生観が大きく変わった。
間違いなくそんな経験の一つ、
原因のすべてではないけれども、
これによって恋愛における人生最大のチャンスを逃した。
満たされない限りは、
いつまで経ってもこの傷は疼くのかな。
動いてもダメ、
動かなくてもダメ、
何をしてもダメ、
そう思うのに十分なくらいには行動を起こした1年間、
その末の今なのだ。
10数人の女性とデートを重ねても、
誰とも関係が先に進むことはなかった。
「弾む会話」に「触れあう肩」
毎日連絡を取り合って、
「電話で愛の言葉のようなもの」を交わしあった相手もいた。
「手をつないだ帰り道」
「本屋で探りあったお互いの好み」
「私が得意気に焼いたお好み焼き」
「隣に並んでくれたエスカレーター」
「思わず寝てしまい怒られたプラネタリウム」
「どちらがうまく料理の写真を撮れるか勝負した」
「あまり美味しくなかったタピオカミルクティー」
「過去の恋愛を晒しながら食べたパスタとティラミス」
「待ちぼうけの末にサイゼでくれた「超すみません」という謝罪」
「不誠実だな」と思うのは、
これが一人の女性との思い出ではないということ、
そうやって私は「足りなかったもの」を求めて、
女性との経験をたくさん回収したのかな。
きっと私が求めるものに近づくためには、
悪くない経験だったのだろう。
だけれども、
どこか私のコンプレックスというか、
「自信のなさ」
きっとそういうものがにじみ出ていて、
その誰とも関係が先に進むことはなかった。
「満たされない」
そうして傷跡ばかり気にしているから、
いくら手足を動かしても心は置いてきぼり、
それではうまくいくはずがないな。
きっと本気ではないのだ。
なりふり構わずに手に入れたい。
それほどの気概はない。
だから不安に思った相手は距離を取る。
そして私は彼女たちを追うことはしない。
そうやって関係は途切れる。
その繰り返しだ。
「またか」って、
傷つくことを恐れて先に進まなかったのに、
傷ばかりが増えていく。
「自分のすべてを受け入れてくれる女性」
傷つくことが怖いから、
そんなところに焦点を当ててしまって、
ますますこじらせることになる。
5年、
その時の私は誰といるのだろう。
相変わらず一人なのかな。
5月24日、
どうやらこの日はマイルストーン、
この日にこのことを気にしなくなった時、
きっとその時に私は幸せに包まれているのだろう。
そのように信じて、
またこの日から歩みを始めるのだ。