「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

頭の良い人に「それらしいこと」を言うと相手が勝手に脳内補完してくれる

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「面白いな」と思ったこと、


私に大した知識がないことを聞かれたときに、

あくまでも一般論で「それらしいこと」を答えてみる。

村上春樹氏の小説のように、

知的ぶった言い回しならばなおさら良い。


すると「あたりまえやんけ」って思うような答えなのに、

頭の良い人は「何か意図がある」と思い込んでくれて、

「こういうことですよね」って勝手に論理展開を進めてくれるのだ。


そうなると私は「それらしく」

相手の言ったことの言い回しを変えて反復するだけ、

最後に「そういうことだと思います」とでも言っておけばいい。

断定は決してしないのが味噌だ。


多くの疑問に対してさ。


人はある程度答えを持っているのだ。

「誰かに話すこと」でそれを後押ししてほしいだけ、


「頭の良い人」


それを定義付けるのは難しいけれど、

何でもかんでも物事を深く考察することを生きがいにして、

プライドが高く「わからない」とは言えない。

そんな「自分の頭で物事を考えて生きている素晴らしい人」とすれば合点がいく。


ちょっとした刺激を与えるだけで、

自分の頭で考えて答えにたどり着く。


自分の力でたどり着いただけなのに、

私に相談して良かったって思ってもらえて、

また相談が舞い込む。


ある種の「コンサル」なんて、

きっとそんなお仕事なのだ。


穿った見方をされてしまうと、

おそらく「対価に見合った働き」はしていない。


だけれども、

「聞く力」


そういうものを提供しているのだと考えると、

まんざら「無価値」とも言い切れない。


要は「課題解決」につながればいいのだ。


それに「自分でたどり着いてもらった」方が、

相手にとっても望ましいことだろう。


私は「人から何かを聞かれた」とき、

また「人に何かを聞く」とき、

自分のナレッジにすることを心掛けている。

そして相手のナレッジになれば、なお良いと思っている。


そうやって「Win-Win」の関係を増やしていく。

「人間関係」ってそういうものなんじゃないかな。


ブログだってそうだ。


私は皆さんのブログから多くを学んでいるし、

私のブログが誰かの役に立てばなお良いと思っている。

 

コンセンサスがコンプライアンスで、

ガバメントがアバンチュールしているのだ。


「ギバー」(=Giver 与える人)


そういう言葉が流行っているけれど、

「ギバー」になろうとしてなるのではなく、

自然と「ギバー」であるように、

人格を磨くことが大事なんじゃないかな。

 

とまあ、

そういうことにしておけばいい。

 

「不誠実さ」に理由をつける。

そうやって人は生きているのだ。


小難しいことを並べて、

簡単に書けることを難しく書いて、

「それらしい」結論でまとめる。


お察しの通り、

言い分けがましいこの記事自体が、

私の「自己肯定作業」だ。


「なるべく人を道具として見ない」


そんな理想を掲げているくせに、

私は「マキャベリスト」の気質が強いのかもしれない。

 

なるべく「楽に生きようとする」

そんな自分が嫌いではないのだから困ってしまう。

 

私がブログに書いていることは、

どこまで本気なのだろう。