「純愛主義」と「破滅的な愛」について

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『君の名は』を境にして、

現代アニメ界における代表的な監督となった新海誠氏、

 

先日話をしていた女性が、

「『天気の子』を見て泣きました」

そう言っていた。

 

私の感想は申し訳ないが、

「あれで泣けるのか」というもの、

 

だいぶ年下の女性、

「ジェネレーションギャップ」なのか、

「私と世間との感覚の乖離」なのか、

おそらくレビューなんかを見ていると後者なのだろう。

 

確かにグッと来るシーンはあるけれど、

終わり方に「またやってしまったな」と思う。

興味がある方は過去記事を参照して欲しい。

 

tureture30.hatenadiary.jp

 


私は新海誠監督の作品は短編を含めて、

知りうる限り世に出ている全てを見ている。

 

『君の名は』は売れ線な終わり方をしたけれど、

その作風はいわゆる「セカイ系」だ。


一言でいえば「恋愛至上主義

世界の行く末よりも「愛」が大事、

世界を亡ぼしてでも「一人の相手」を選択する。


そういうもの、


おそらく日本におけるもっとも代表的な作品は、

最終兵器彼女』ではないだろうか。


「セカイ」を取るか。

「彼女」を取るか。

主人公はその二択を迫られる。


そして大抵は「彼女」を取るのだ。

私はこういうものを「破滅的な愛」と呼ぶ。


「君だけがいれば他には何もいらない」

「あなただけが私のすべてなの」


申し訳ないけれど、

そういうのって気持ちが悪い。


だから私は新海誠監督の作品を、

「映像も構成も演出も文句なし、

だけれどもストーリーが根本的に好きになれない」


大抵はそう評している。


「だったら見なければいいのに」

そういう声が聞こえてきそうだ。


だけれども新作が出るたびに、

私は新海誠監督の作品をワクワクしながら見続ける。

そして見た後に大抵ゲンナリする。


期待が大きかったこともあるだろう。

だけれどもそのゲンナリ


ルーツを探ってみると、

「同族嫌悪」というものなのかもしれない。


ブログ読者の方はわかると思うが、

私は「純愛主義者」だ。

それにこだわるあまりこじらせ続けている。


「純愛主義」と「破滅的な愛」


大きな類似点がある。

それは「愛の大きさ」だ。


ある意味では依存的ともいえるほど大きな愛、

「無償の愛」と言い換えられるだろうか。


利害関係に囚われず、

互いを純粋に求めている。

そして裏切らない。


そういう「大きな愛」


「純愛主義」と「破滅的な愛」

共にそれを理想に掲げている。


だけれども決定的な違いがある。


「相手だけ」を愛するのか。

「相手の周りも含めて」愛するのか。


その違いだ。


私の掲げる「純愛主義」は、

例えば相手の粗悪な家庭環境だったり立場や責任、

そういうものを含めて「自らの責任として受け入れる」

そう考えている。


だけれども「破滅的な愛」は、

そういうものを切り捨てて、

「二人だけでどこか遠くに逃げる」


「セカイ」なんて関係ない「互いさえいればいい」

そういう描写が主軸だ。

 

セカイ系」における「セカイ」というのは、

「愛の大きさ」を表現するための壮大なメタファーなのだ。


それは決定的な差だ。


「愛」ってものはさ。

「二人の周りにいる人たち有りき」なんじゃないかな。

私はそう思っている。


だから私は新海誠監督の作品を見て、

方向性に類似を感じながらも、

「理想」を否定されたような気になるのかもしれない。


詰まるところ「エンターテインメント」だ。

「アニメにそこまで本気になられても」


いや全くその通り、

文字通り「痛い」ほど自覚している。

私は私の「理想」を大きくしすぎているのだ。


これまでの報われなかった努力の屍を積み上げて、

その上に立つことで「より高みに近づいているはずだ」って、

自分を慰めているのだろう。


努力すればするほどに遠のく「理想」

何とも皮肉なものだ。


「恋はいつでもハリケーン


そうやって、

素敵な人を見つけたら、

考えなしに一緒になれれば幸せなのかな。


私の中でいろいろなものが定義付けられて、

そのたびに窮屈になっている気がする。


多くの場合、

その「定義付け」は大きな武器になる。

だけれども「恋愛」は別なのだ。


どうやら私にとっての「恋愛」は、

もしかしたら「生死」と並ぶくらいに、

人生における大きなの課題なのだろう。


どう考えても「天敵」だ。


「天敵」

そう思っているうちはうまくいかないのかな。


「破滅的な愛」


そこまで振り切れもしない。

だけれども「誠実」という看板を掲げて、

「純愛」を気取ってこじらせている。

まるで「道化」だな。


そろそろ大人にならないといけないのだ。