抱っこ紐で子供を抱えながら買い物に行った。
そうすると笑顔で私のことを見る人がちらほら。
声をかけてきてくださるご婦人もいた。
子供は社会の財産なのだと感じる。
「愛は地球を救うのか?」
だなんて24時間テレビのテーマで茶番をするくらいならば、赤ちゃん特集でもしていた方が地球は救われるのかもしれない。
他人の子供には責任を持たなくて良い。
私はこれまで「おじ」(おぢではない)として子供に接する機会が多かったから、子供はなんと可愛いのだろうと思っていた。
しかし、自分が親になってみると、子育てはなんで大変なのだろうと思う。
まるで、周りの人を幸せにするための修行のようだ。(それはそれで素晴らしいことなのだが)
それとも、そんな自己犠牲的な考えに陥っている時点で危険なのだろうか。
私たちは、自ら望んで子供を設けた。
そして、望み通りに子供が生まれた。
これは私たちが負うべき責任なのだ。
もちろん喜びもある。
その喜びをかき集めて、日々生きていくための糧にすれば良い。
周りの多くの人たちが喜んでくれる。
そして、私たちにも喜びがある。
「赤ちゃんは人を幸せにする」
少なくとも今の私がそれを否定することはできない。
未来を担う大事な子供たち、その子供たちを育むことで得られる充実感はある。
自らの時間を未来のために使っていると、確かにそう思えることが、この充実感につながっているのだろう。
「育児ノイローゼ」
知り合いの奥さんが、かつて大変な状況に陥ったと聞いた。
そうなる気持ちもわかる。
私はまだ働いていて、生活に別の軸があるからまだ良い。
妻は24時間ずっと子供と一緒にいる。
ほとんどコントロールできない子供と一緒に過ごして、言われるがままに世話をし続けることは、本当に大変なことだ。
第一子の生まれたばかりが一発大変だったという話を聞く。
かたや、1才前後の夜泣きの時期が一番大変だったという親もいる。
はたまた、2才のイヤイヤ期が一番大変だという人もいる。
その時の親の状況にもよるのだろう。
いつが一番大変なのかは経験してみないとわからない。
少なくとも言えることは、今の私たち夫婦は大変だということだ。
情報はいくらでも手に入る時代だ。
子育てが大変なことは、多くの未経験者にも周知されていることだろう。
それでも多くの人は、子供を産み育てたがる。
それは本能的なものなのだろうか。
長い目で見たら切っと、今の大変さも良い思い出に変わる。
当事者である時が一番大変なのだ。
多くの場合、赤ちゃんら人を幸せにすると、そう結論づけよう。