「結婚」だの「出産」だの「育児」だの、
周りはそんなイベントで盛り上がっている。
私には何も起こらない。
「何のために生きているのだろう」
そう思うことが増えた。
「親に対する責任」くらいしか思い当たらない。
俗にいう「平均年齢」
ライフイベントって、
実にうまくできているのだなと感心する。
きっとうまい具合に、
悩むべき時に悩むことがあって、
その悩みに身を委ねていれば、
余計なことを考えずに生きていけるのだろう。
「エネルギーの使いどころがない」
だから生きている意味が分からない。
余計なことばかり考えて、
エネルギーを発散させているのだ。
だけれども「余計なこと」
文字通り「余計」なのだ。
その先には何もない。
現実は先に進まない。
「虚無」だ。
だから余計に虚しくなる。
嫌でも比べてしまうのだ。
周りはどんどん進んでいく。
私は何も変わらない。
何とも月並な悩み、
メタ認知を繰り返して、
自分の立ち位置を理解したつもりになっていても、
結局はこういうことで悩むのだな。
「この苦しみから救い出してくれ」
「結婚」に対する期待値は高まる一方、
まさに悪循環だ。
これがきっと「こじらせる」メカニズムなのだろう。
誰かに救いを求めたところでどうにもならない。
自分で自分を満たしてあげる。
そのためにはどうしたらいいのかな。
自粛、自粛って、
手足を縛られた状態で楽しみを見出せって、
もはやそんな状況だ。
「夢中になれること」
どこかに転がっていないかな。
口をパクパクとしているだけで、
食べ物が転がり込んでくることを期待する「ひな鳥」か。
「生きるに足る理由」
それを自分で見つけるしかない。
漫然と進む時の中で、
私は「生きている実感」が欲しいのだ。
気を付けないと、
また「病気」にしがみついてしまう。
あんな苦しみはもうごめんだ。
その前に何かをみつけないと、