「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「声を挙げる」ということ

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サイレントマジョリティ


声の大きい人の圧力に屈して意見を言わなかったり、

軋轢を生むこと自体を億劫に思い意見を言わなかったり、

はたまた、「意思表示したところで何も変わらない」と、

厭世的になって意見を言わなかったり、

 

沈黙する多数派、

特に日本人はこの傾向が強いのだろう。


だから「声の大きいだけの人」が力を持つし、

組織の改革は進まない。


「みんなこう思っているのに」って、

そうやって嘆くばかり、

「声にしない」から変わらないのだ。


そりゃ、反論されることもある。

険悪になることもある。


だけれどもその過程を経ないとさ。

「理想」ってやつには近づかないんじゃないかな。


「多数派」の陰に隠れて、

「おかしいこと」を平気で見過ごすような人生、


それが「大人」だなんて自分に言い聞かせていても、

本当は気が付いているんでしょ?


「自分の人生を生きていない」ってことに、


「立場」を言い訳にしないでさ。

「環境」を言い訳にしないでさ。

「意見」があるならば堂々と言えばいい。


返り討ちに合ったのならば、

自分が「正しくなかった」

もしくは「力が足りなかった」ということ、

それが分かるだけでも収穫なんじゃないのかな。


だけれども、

気をつけなければならない。


何のために「意見を言う」のか。

それを履き違えないこと、


「自分の正しさを証明するため」ではない。

「嫌いなあいつの鼻を明かすため」でもない。

「組織を道徳的かつ、より良い方向に導くため」だ。


道徳的な「軸」を持っていなければ、

タチの悪い「モンスター」や「クレーマー」

「クラッシャー」であり「時間泥棒」だ。


「目的」をどこに置くか、

それが大事なんじゃないかな。


多くの場合で感情的になって良いことはないのはさ。

「自分の正しさを証明するため」に躍起になるから、


人は「居場所を失うこと」を恐れて、

「立場を守るため」に感情的になる。

だからその状態では「周りを見渡す余裕がない」のだ。


だから独善的になり、

周りのことを顧みない。

結果として良いことはない。


私の悪いところは、

「独善的な意見に対して必要以上に排他的」なところだ。

 

自分よりも立場が上の人間の独善さ対しては尚更だ。

「幼稚なんだな」くらいで笑い過ごせばいいものを、

「必要以上に噛みついてしまう」


何ともバランスが難しい。


私は自分のことをコントロールしたがりすぎているのかもしれない。

だから「時間泥棒」に遭遇するとイライラしてしまう。


だけれどもさ。

そんな些細な時間を捻出するために神経すり減らすよりも、

その状況すらも「経験」だと楽しめるようになりたい。


コントロールしようとするあまりイライラしていては、

結局コントロールできてなどいないのだ。


だから、

「普通」にもこだわり過ぎないし、

「理想」にもこだわり過ぎない。


「道徳」という名のスパイスで味付けしながら、

「意見」というものを調理して、

「さあ召し上がれ」と提供する。

 

特に「声を挙げる」ときにはさ。
そんな余裕が必要なのかな。