去年デートを重ねていた女性がよく口にしていた言葉、
「私は味音痴なので、何を食べても大体美味しいと思います」
私は別にグルメでも何でもないけれど、
麻婆豆腐を食したときに「山椒が効いていて美味しいね」と言ったら、
「山椒の味がわかるなんでグルメですね」と返された。
山椒なんて、かなり特徴的な刺激をもたらす食材だ。
「えっ?」とは思ったけれど、気にせず美味しそうに食べ続ける彼女、
その子との食事では不思議なことが多かった。
「これを食べよう」と決めて入ったお店で、急に「全く違うもの」を頼んだり、
彼女が「美味しい、美味しい」と言って食べるパエリアが、私にはあまり美味しく感じなかったり、
「だから」というわけではないけれど、
彼女との食事はあまり会話が弾まなかった。
当時、記事にしたけれど、
横に並んで散歩をしているときは自然に会話が弾むのに、
対面での食事になると弾まない。
もしかしたらこれも「食事の相性」によるものだったのかもしれない。
楽しく食卓を囲める人とは「体の相性がいい」だなんて、
ある有名ブロガーさんがそんな持論を書いていた。
もちろん私にそれを確かめられるような甲斐性はないものだから、
真偽のほどはわからないけれど、
「食事の時に楽しい時間を過ごせるか」
それって大事なことなのかもしれない。(体の相性はさておいても)
その観点で思い返してみると、
辞めてしまった職場の元後輩女子、
あの子と食事に行った時は面白かった記憶がある。
会社や元同僚の批判ばかりで辟易した記憶もあるけれど、
その後、何度か「職探しの相談」と称して連絡が来たりしたけれど、
ぞんざいな扱いをしてしまったな。
だけれども、ぞんざいな扱いをできるくらいだから、
もしかしたら彼女とは相性が良かったのかもしれない。(「体」とは言っていない)
なんだか「孤独」に苛まれすぎたのか。
過去のあらゆる可能性に思いを馳せている自分がいる。
一応「出会いの数」だけは重ねてきたものだから、
一種の「慰め」として作用しているのだろうか。
良い傾向なのか。悪い傾向なのか。
その判断すらつかないな。