生まれたばかりの娘を見ていると、彼女はこれからいくらでも人生を切り開いていけるのだ、と感じる。
自由で気ままで、何に対しても興味を持って、真綿のように全てを吸収していく。
かつては誰もが赤子だった。
「可能性」に満ち溢れていたのだ。
いや、もしかしたら今でも「可能性」に溢れているのかも知れない。
自らの可能性を信じることをやめたから、ただ天井が見えたような気になっているだけなのかもしれない。
70歳を過ぎてからプログラミングを学び始めて、81歳でスマホ向けアプリをリリースした若宮正子さん、彼女は世界最高齢のプログラマーとして注目されて、Apple社のCEOであるティム・クック氏と対談した。
彼女は、こう語る。
時代の変化と共に求められる役割は変わっていく。昔は必要とされなかったスキルでも、今は必要とされるスキルになっていることもある。
だから、とにかく何にでも挑戦してみることが大事。
何がバズるのかわからない時代。
とにかく動き続けることが大事。
私にはまだ先がある。
子供が生まれると、どこか一部分を諦めて、子供にバトンタッチしたような気持ちになる。
しかし、それは私が自分でそう思っているだけなのかもしれない。
子供は親の鏡だから、親が成長しようという姿勢を見せなければ、子供も成長を目指さない。
東大生の子供を持つ親に共通していたことは、親自身が楽しみながら学び続ける姿を自然と子供に見せていたこと、のようだ。
楽な道などないのだな。
私は娘のためにも、学び続けなければならない。
「可能性」に満ち溢れた娘を前にしても、「あとは託した」ということは無責任なのだ。
私も私の「可能性」を諦めてはならない。
私の人生は、最後まで私が責任を取らなければならない。
人生は、そういう風にできている。