自分の存在価値に疑問を持ちながら生きている。
誰かの期待に応えることが人生の目的に変わっていく。
自分の価値は、自分ではない別の誰かが決めるようになった時代。
いや、それは幻想に過ぎないのだ。
誰もが自分の人生に責任を持たなければならない。
誰かの指示に従って生きていても、最後は自分で責任を取らなければならない。
私はこれまで、それを嫌というほど実感した。
いざと言う時には、誰かのせいにできないし、最後の苦労・苦悩は自分で引き取らなければならない。
だから、周りに迷惑をかけない限りは、自分の思うように生きれば良いのだ。
アドラーの主張したように、自分の課題は自分の課題。
そして、他人の課題は他人の課題。
そこに明確な線を引くことは難しいけれど、確かにそこに線が存在することは認識しておく必要がある。
それだけで「生きづらさ」はいくらか解消するはずだ。
誰かの期待に応えることだけが人生ではない。
だから「問題作」上等なのだ。
人の数だけ幸せと喜びがある。
苦悩や悲しみがある。
それを十把一絡げにする必要などない。
表向きだけ、うまいことやっておけば、それで良いのだ。
私の人生は私のもの。
そして、あなたの人生は、あなたのもの。
それでいい。
Ado『アタシは問題作』