前にも似たようなことを記事にしたかもしれないけれど、書きたいテーマだと感じたので筆を執る。
ブログを始めた頃はアラサーだと大手を振って主張できたのだが、そうも言えない歳となってきた私、
これだけ女性との出会いを重ねてきても、関係が進むことはなかった。
そうなると、そろそろ自分は「子供を授かることが可能なのか」という悩みが現実的になってくる。
そもそも、相手もいなく、そのための行為自体を未経験の私がそういう悩みをかかえているということ自体が滑稽なのかもしれないけれど、年齢が年齢だけに、周りの既婚者でもそういう悩みを抱えている人がちらほらいる。
「晩婚化」や「価値観の多様化」などの要因で減り続ける出生率、
だけれども、根本的な要因は、人類が未来に対して希望を見出すことが難しくなったことなのではないかと感じる。
経済的な面はもちろんのこと、これだけ環境問題が大きく取り上げられるようになり、加えて感染症により停滞感の続く社会、
100年後の地球が豊かな暮らしを保証してくれるとは限らない。
その中で産み落とされる子供たち、
果たして本当に幸せな人生を歩むことができるのだろうか。
と、まぁ、そう書いてはみたけれど、
私は反出生主義ではなく、大抵のことはなんとかなると思っている。
女性関係を除けば、どちらかと言えば楽観主義者だ。
だから、自らの心情を考察するならば、私は「子供を授かりたい」
可能かどうかは別として、率直にそう思っている。
「反出生主義」
この世に生まれてくること自体が罪である。
なんだか宗教的な匂いがするけれど、信仰とは関係なく、本気でそのように思って生きている人たちが割と多くいるようだ。
おそらく彼ら、彼女らは自らの経験をもとにそのような考えに至るのだろう。
躁鬱を患う友人も、かつて同じようなことを主張していた。
自分は子供を作ることだけは絶対にしないと言う。
自分と同じ苦しみを子供に背負わせたくないからだという。
昔の話だから今はどうなのかは知らないけれど、彼は紛れもなく「反出生主義」だったのだろう。
だけれどもさ。
生まれた子供が幸せな人生を歩めるかは、半分は親の責任かもしれないけれど、半分は本人の責任だ。
生まれてもいない子供に対して、無条件に幸せに生きられる可能性を摘んでしまうのは、人としていかがなものだろうか。
もちろん責任を持つ気もないのに子供を産むことに賛成するわけではない。
だけれども、初めから「子供が必ず不幸になるから産まない」というのは不健全すぎやしないだろうか。
乱暴な言い方だけれども、「そういう考えから抜け出せないから、だからあなたは不幸なんじゃないの?」
もちろん直接伝えるわけにはいかないけれど、そういう言葉を浴びせたい衝動に駆られる。
私は精神的にも肉体的にも一度ずつ死にかけて、
特に精神的な面ではパニック障害という地獄を見た。
それでもそこから立ち上がり、5年余りで発症前の自分とは比べものにならないほど、広く深く成長できたと実感している。
苦しみは人それぞれだから、反出生主義者の苦しみを理解できるとは言わないけれどもさ。
できることをコツコツと積み上げていくしかないんじゃないかな。
そしてそのためには、希望が必要なんじゃないのかな。
「満たされるはずがない」「報われるはずがない」って、「未来は良くなるはずがない」って、そう決めつけているから目の前にある幸せを感じられないのだ。
環境が変われば幸せになれるわけではない。
世界が変われば幸せになれるわけではない。
「自分」が変わらないと幸せにはなれない。
些細な繋がりから感じられる幸せは、必ず存在するはずだ。
先日、電子マネーを使えないお店で買い物をした時に、小銭が溜まっていたから「細かいのですみません」と伝えたら、「むしろ小銭が足りなかったのでありがたいです」と言ってもらえた。
それだけでもほっこりすることができた。
そういうのって、日常にたくさん転がっているんじゃないのかな。
だから「反出生主義」というのは、人が生きるための活力を奪う害悪でしかない。
どんなに不幸を感じていたとしても、
「生まれてきたこと」を変えることはできない。
「生きる理由」なんて自分で決めろ。
「命の使い方」は自分で決めるしかない。
「生まれてきたことが間違いだった」だなんてさ。
そうやって満たされない理由を根本から否定していればそりゃ楽だよ。
「全ての不幸の原因は生まれてきたことにある」だなんてさ。
「不幸の原因」として汎用性の高いことかの上ない。
「不幸」にばかり目を向けすぎているんじゃないの?
自分が何者でもないことを恐れるあまり、
「不幸な自分」を居場所にして自慰に耽っているだけじゃないの?
自慰行為をすることは自由だ。
好きなだけしていれば良い。
本人が子供を作らないことも自由だ。
だけれども、不幸の原因を「生まれてきたこと」のせいにして、楽に生きようとする奴らをこれ以上増やさないで欲しい。
「思想」は「麻薬」になりかねないのだ。
そして自らも自分の言葉に洗脳されるのだ。
どうか、ご自愛くださいませ。