※男性向け注意
いわゆる「オナ禁」というやつだ。
前に似たようなテーマの記事を書いて一定の検索流入があるから、おそらく記事としての需要はあるのだろう。
今の私は禁止をしているわけではない。
週1,2回くらいでよろしくやっている。
これまでの変遷を簡単に記載する。
20代は習慣のように毎日行なっていた。
そこから30代になって色々と重なりメンタルを崩してしまう。
生活を整える過程で、どうやらオナ禁がいいらしいという噂を聞きつけて最長50数日継続した。
ガチなトレーニングをしていた時期でもあったから、私のオスとしての力は増大されたのだろうか。
確かに一定のモテ効果はあったように感じる。
(童貞なので説得力ゼロだが)
しかし、50日以上も続けていると、その間に性欲を刺激するような出来事に遭遇することもある。
ちょっとしたトリガーでムラムラが爆発しそうになり、出さないけど触ってしまうみたいな日々が続いた。
「こりゃいかんな」と思ったので、何かを機に一度リセットをして、しばらくは小康状態が続いたと記憶している。
その後に「根元から断たないと意味がない」と考えて、リンク記事の通りポルノ断ちというものを120日くらい行った。
出すのはいいけれど、ポルノは自分の意思では絶対に見ない。目についたらすぐに閉じる。
そういう取り組みだった。
そうすると自然と回数は減っていき、週に1度くらいの頻度で済むようになってくる。
しかし、それも永遠に続くことはない。
世の中には誘惑が溢れているのだ。
その取り組みも何かの拍子にリセットして、今度は「連日しなければいい」というようなルールに変わる。
だいぶ緩和された形だ。
そういう生活を何年か続けて今に至る。
そういう経緯で今の私は週に1,2回くらいの頻度で自慰を行っている。
それが当たり前になってくると、どうやら一回の負担が大きくなるようだ。
出した翌日はかなりだるかったり、頭が痛かったりする。
前に「男にも生理はある」なんて記事を書いた記憶があるが、
ホルモンバランスというものの影響は恐ろしいもので、女性と比べれば大したことはないのかもしれないけれど、確かにあるのだ。
毎日していた時は、若かったこともあってか、そんなことはなかった。
悲しいかな男の性で、私の年齢ではまだ「全くしない」ということはどうしてもできない。
羽田圭介氏の芥川賞作『スクラップアンドビルド』で、高齢者をボケさせたかったらとにかく動く機会を奪えばいい。
なんて表現があったけれど、
人の体の構造上、使わない機能は衰えていくのだ。
そう考えると、回数制限をしたことで、まだ一度も本来の使い方をしていない私の機能は衰えてしまったのかもしれない。
最近では翌日の体調不良を考えてしまうと、なんだかする気も失せてくる。
もしかしたら、レスに悩む夫婦の男性側の問題は、私と同じようなところに起因するのではないだろうか。
確か、女性の性欲と男性の性欲は、結婚適齢期あたりを境に反比例していくとのデータを見た記憶がある。
女性は高まり、男性は元が高いものだから下がっていく。
私もそういう時期を超えてしばらく経つ。
このまま終わってしまうのだろうか。
生活改善の「ライフハック」なんて言葉が流行り、私もそれに夢中になっていた時期があるけれど、
詰まるところ「自由を享受すること」以上のライフハックはないのではないだろうか。
欲にまみれて、色にまみれたとしても、本人が幸せを感じ続けたまま生きられていれば、何を管理する必要もないのかもしれない。
人に迷惑をかけるわけでなければ、それで問題ないのだろう。
人は経験をすることで、見えなかった景色が見えるようになる。
だから、禁欲が無駄とは言わないけれど、それをしたことでその行為自体が人生を劇的に変えるということはないのかもしれない。
だけれども、行動を起こすためのきっかけにすることはできる。
「停滞感」を拭えないのであれば、とにかく動き始めるしかないのだ。
表題の結論としては、
「自慰の管理」をしているうちに、管理の必要がないくらいに機能が衰えてきた。
だけれども、私が行動を起こすきっかけにはなった。
そんな感じだろうか。
何事もやりすぎは良くないのだ。
人生通して最後まで無理を続けることは不可能に近い。
どこかでほどほどのところに落ち着くようになる。
その時の自分を見定めて、ちょうどいいところをキープする力を身につけることが、本質的な「ライフハック」なのだろう。
40代後半で20代女性と結婚した知り合いを見ていると、そういう力に長けていると感じる。
ブログ開設当初と比べると、
私も随分と老け込んだ考えになったものだ。
経験は「人を丸くする」のかも知れない。
オナ禁に勤しむ方もいるだろうけれど、
悪しからず。