気がつくと7月下旬となっていた。
7月に入ってからは、あまり記憶がない。
それくらいにタスクに追われながら生活していたように思う。
職場でまた新たな変化が起こりそうだ。
今年の私の環境はどうかしている。
私は自分の意思を発揮することなく、変化に次ぐ変化に流されるようにして、ただ目の前のタスクをこなし続けている。
「やりたいとか、やりたくないとか」
そんな私の意思など、もはや私の人生には反映する余地はないのだろう。
ただ「やらなければならない」
今の私はそういう時期なのだ。
変化のない時は、ずっと変化のない時期が続いていた。
その停滞感に耐え切れずに一歩を踏み出して転職した私。
そこからの3年で人生が大きく変わるような、そんな出来事が途切れずに起き続けている。
初めの一歩が大事なのだ。
その一歩を踏み出したら、もう後に戻ることはできない。
そのトリガーが私にとっては転職だった。
後悔はない。
むしろ感謝の気持ちが大きいくらいだ。
私は一歩を踏み出したことで、望む未来を手に入れた。
そして、それを多くの人たちが祝福してくれる。
こんなに有難いことはない。
今の時間も、後から振り返ればきっといい思い出。
そして、その「振り返り」をする頃の私は、きっと自分の人生に大きな充実感を抱いていることだろう。
ただ虚しく長い時を過ごすよりは、充実した短い時を過ごして、気がついたら歳をとっている方が幸せなのかもしれない。
人生は、何もしないには長すぎるが、何かを成すには短すぎる。
そんなことを誰かが言っていた。
私は、私の人生に「自分の意思」を反映させたいと思って生きてきた。
しかし、必ずしも、それが幸せにつながっているとは限らないのかもしれない。
方向性だけ自分で決めて、あとは流れのままに柔軟性を持ちながら時を重ねていく。
結局のところ、どんなに強い意思を持っていても、人はそういう生き方しかできないのだ。
それならば、今をできるだけ楽しみながら生きれば良い。
後から振り返ると、その時間が幸せだったと感じるのだろう。