「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

価値観は人それぞれ

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物事を割り切るために、

自らを納得させるためによく使う言葉。

 

そう。「価値観は人それぞれ」なのだ。

 

そこから共通項を見つけることが容易い相手もいれば、どれだけ同じ時を重ねても分かり合えない相手もいる。

 

積み重ねた成功体験。

傷口の形や種類。

 

何に喜びを感じて、何に不安を感じるのか。

それを分かち合うことは難しいのだ。

 

いくら同じ時を重ねて、同じことを経験したところで、その人の持つフィルターはその人のもの。

心に落とし込む過程で、全く別のものとしてインプットされるのだろう。

 

相手に対する期待値が高いと、些細なすれ違いが決定的な溝を生むこともある。

逆に、大して期待していない相手であれば、些細なすれ違いを気にすることはない。

 

適切な距離を見誤ってはいけない。

そして、必ず分かり合えるなどと考えてもいけない。

 

私と妻の価値観。

見事なまでに近しいものがある。

 

互いが互いのことを思いやり、生活をより良くしていきたいという土台に立っている。

一見すると、めんどくさそうな妻の提案も、よくよく話を聞くと合理的であり、納得のできるものであることは多い。

 

その点で、私は妻のことを信頼しているし、妻もおそらくそうだと感じる。

 

その上で、一点だけ違いを感じるところは、私は社会性を重んじるが、妻は精神的な充足感を重んじる。

 

ルール違反とまでは行かないにしても、失礼に当たると思うことについて私は、自分が負担を被ったとしても、それを受け入れる。

 

それに対して妻は、ルール違反でなければ、自分や自分の周りが得をする選択肢を選ぶ。

 

その点でのすれ違いはままあるが、社会性を全面に押し出す私を盾にして、妻は「わがままを言っているのは自分だ」と、調子の良い様子で得をする選択肢の方へと進んで行き、結果として私も得をしてしまうのだから、妻はもしかしたらやり手なのかもしれない。

 

そうやって、得をしてしまうと、私も何も言えなくなってしまう。

「良かったでしょ」と楽しそうな妻に対して、私は「そうだね」という他ない。

 

私と妻は「家庭」という名の船を作り始めた。

私には私の役割があり、妻には妻の役割があるのかもしれない。

 

夫のことを「立派な人」に仕立て上げた上で、うまいこと舵を切っているのは妻だったりする。

そういう家庭は多いのだろうけれど、間違いなく私も、裏で妻に動かされるようになるのだろう。

 

私は船首として、立派に見えるようにだけ振る舞っておけばいい。

それにだった努力は必要なのだけれども、見えないところでは、妻が何から何までやってくれている。

 

「うち」は、そんな古風な家庭になるのかもしれない。

とにかく、私は「ちゃんと」していなければならないな。

妻は、私が思ったよりずっと、ちゃっかりとしていた。

 

私はそういうことに無頓着で、多少損をしたところで体面の方を優先していたけれど、すでに妻の影響で、価値観は変わってきているのかもしれない。

 

詰まるところ、同じ人であっても、時と共に価値観は変わっていくのだ。

 

価値観は人それぞれ。

そして、人の中でも変わっていく。