「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「事実」と「意見」

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ビジネスにおいて「意見」は、

「求められない限りは伝える必要がないもの」

少し乱暴かもしれないが、基本的にそういうものだ。

 

相手と「個人的ではないやり取り」をするに当たり、必要な情報のほぼ全ては「事実」にある。

 

ビジネスとプライベートを混同してしまうと、

聞かれてもいないことを言って、損をする機会は少なくない。

 

確かにビジネスでも「意見」を求められる機会はある。

しかし、そこでも馬鹿正直にホンネを言ってしまったら、そこでまた損をする。

 

「正直者は馬鹿を見る」

世知辛い話だけれども、今のビジネスの世界は基本的にそうなっているのだろう。

 

やはり、ビジネスに「意見」は「求められない限り」必要ないのだ。

「創造性を発揮する」だなんて掲げたところで、それが機能する職場は、余程徹底してそれを行なっているか、文化としてそれが根付いているかのどちらかだ。

 

前の職場が割と心理的安全性を確保できる環境だったものだから、私は自分の「意見」を言ってしまいがちなところがある。

それは、今の職場ではあまり好ましくない癖なのだろう。

 

「私らしさ」

 

それを仕事でも発揮することができれば、

それは素晴らしいことなのだけれども、そこにも需要と供給はある。

 

苦手なことばかりをしなければならない時もあれば、得意なことだけをしていれば済む時もある。

そこに強制力が働くからこそ、働くことで成長ができる。

 

やりたいことだけをやり続けていたら、それはそれで楽しいのかもしれないけれど、人としての幅は広がらない。

今の私は苦労しているからこそ、そこに学びがある。

 

こんな形でブログを長年描き続けているくらいだから、私は自己主張が強いのだろう。

それはそれで、自己肯定感を高める効果があるのだけれども、自分とは違う意見をぶつけられた時に、それを糧にすることを忘れてはならない。

 

人は歳をとるごとに、自らの考えに固執するようになる。

それまでの成功体験に足を引っ張られて、かえって成功を逃すことになるのだ。

 

だから、自らが「事実」と「意見」を使い分けると同時に、自らに受け入れるものも「事実」と「意見」を意識して取り入れないといけないのだろう。

 

自分や周りを客観的に捉えながら、何が正しくて、何が間違っているのか。

答えは先にならないとわからないかもしれないけれど、それを吟味することで後悔する回数を減らすこと。

それが、結果として人生の満足度を上げることになるのかもしれない。

 

何を書きたかったのか、わからなくなってきた。

世の中では「事実」と「意見」を使い分けることを求められる。

そして、個人としても「事実」と「意見」を意識して取り入れる必要がある、

そんなところだろうか。

 

私は、決断を急ぐ傾向があるため、人呼吸置いてから行動を起こすくらいがちょうど良いのかもしれない。

タスクに追われていると、余裕がなくなってしまう。

 

決断の前に一呼吸置くくらいの時間はあるはずだ。

忙しいからこそ、少し余裕を持って生きよう。