コロナ禍となり3年が経った。
今や、年がら年中マスクをすることが当たり前となり、学生の中には、3年間同じ学舎に通いながらも、「マスクを外した素顔を見たことのない同級生がいる」という声もあるらしい。
それほど、私たちの生活に定着したマスク。
それが、私たちのコミュニケーションにどのような変化を与えたのか、そのあたりを少し考えてみたい。
結論から申し上げると、「直接的な影響」は限定的だが、「外見の印象」による変化が大きいのではないかと感じている。
元々、日本人はマスクをする習慣があった。
冬場のインフルエンザが流行る季節になると、当たり前のようにマスクをつけていた私たちは、外国人からすれば異様に映るほど、マスク好きの民族らしい。
だからだろうか。相手の声色や仕草など、表情以外の情報で、相手の感情を読み取ることに長けているのかもしれない。
マスクをしていて、コミュニケーションがとりにくいと感じたことは、声が少し聞きにくいくらいのもので、ほとんど感じたことがない。
しかし、直接的なコミュニケーションへの影響は限られていたとしても、相手の外見への印象は、その限りではないかもしれない。
「マスク美人が増えた」なんて言われるけれど、確かに男女問わず、マスクの有無で印象が大きく変わる人はいる。
少し昔に「人は見た目が9割」なんて本が流行ったけれど、確かに相手の外見により、態度が変わることはある。
美人には優しくして、そうでない人には優しくしない、という愚かな男の性質はあるのかもしれないが、それよりも私は、相手の特徴が少なくなるということを感じる。
美醜のみならず、コンプレックスだったり、目立つ特徴。
それがマスクの下に隠れているのであれば、相手を覚えるためのトレードマーク自体がガラリと変わったりもする。
マスクが当たり前になったことにより、「人のことを覚えにくくなった」と感じるのは私だけだろうか。
これは、意外と大きい。
特に、コロナ禍に転職をして、多くの新しい人と接する環境に身を投じた私、
相手からすれば私は新人だから覚えやすいのかもしれないけれど、私からしたら相手のことを覚えにくいのだ。
その積み重ねの中で、相手を認識することに自信がなくなってしまう。
コロナ禍で交流の機会が限られているという事もあるが、転職してからは、仕事で関わりのある人以外とは、あまり関係を深めることができていない状況だ。
だから、マスクが引き起こしたコミュニケーションに対する変化は、直接的なものよりも、間接的なもののほうが大きいのではないかと感じる。
これから先の未来。
政府は、マスクに対する姿勢を「自己責任」としているが、おそらくしばらくマスク生活は続くだろう。
それは、もしかしたら、私たちが潜在的にマスクを求めているからなのかもしれない。
目に見えない影響、目に見える影響。
些細な積み重ねで世界は構成されているのだ。
これから先の未来は、どのように進んでいくのだろうか。