「家族」という言葉について、思いを巡らせてみたい。
縄文時代から日本人は集落を作って生活してきた。
血縁関係から少し拡大して、部族としての暮らしを続け、そこから核家族化が進んでいき、今では一般的に、自らあるいは配偶者と血縁関係があり、共に暮らす集団を「家族」と呼ぶ。
その「家族」という括りは、先祖代々、結合と分裂を繰り返して、今に至るのだ。
私の先祖が血縁を繋いできて、その末端に私がいる。
そして、妻も同じく先祖が繋いできた血縁の先にいる。
その先で婚姻関係を結んだ私たち。
そこから先に繋いでいかなければならない何かを朧気ながら実感するようになった。
生物に備わる「種の保存欲求」が、私を駆り立てるのだろうか。
それとも、世間体だろうか、あるいは、血縁者からの期待だろうか。
いずれにしても、私たち夫婦は子供を望んでいる。
甥や姪の姿を見ていると、子供を育てることはとんでもなく大変だということを見せつけられるけれど、それでも、自然と私たちは、その大変な道を進みたいと願っているのだ。
理屈ではない。
それが「正しい」のだと本能的に感じる。
もちろん、それは個人的な感覚に過ぎない。
どのような人生を歩むのかは、個人に委ねられた自由だ。
「家族」というものが、先祖代々繋がれてきた先にいる私と妻。
私たちから先に、この血縁は続いていくのだろうか。
今はまだわからない。
先のことは、どうなるのかわからないのだ。