結婚式に参加すると、煌びやかな年頃の女性たちをたくさん目にする。
特に後輩の結婚式に参加したものだから、20代のキラキラ女子ばかりだった。
しかしながら、結婚した私には既にそのキラキラ女子たちに期待するものなど何もないのだ。
妻と出会う前、婚活に勤しんでいた時期ならば、おそらく表には出さなかったとしても、内心では「ワンチャン」を期待していたかもしれない。
話しかけるチャンスがあれば、繋がろうとしたかもしれない。
好みの容姿を持つ女性を前にして色めき立つようなこともあった。
そして、話をしてみて既に相手がいることを知って落胆することもあった。
今の私には、そのような期待をしてからの駆け引きをする必要はない。
あるとすれば、ただ交友関係を広げるために少し話をしてみる程度のものだ。
そして、圧倒的に夫婦で行動することが増えた。
妻が横にいる状態で、ほかの女性を目で追うようなことをすれば、すぐさま横槍が入る。
その積み重ねだろうか。
視線を矯正された私の目には、美女の入り込む余地がなくなったのだ。
そして、美女が目に映ったとしても、ただ「綺麗な人がいる」という情報としてインプットされるだけで、それを脳内でこねくり回して、何かを期待することは無くなった。
裏を返せば、私は妻に対して「パートナーとしての不満を感じていない」ということなのだろう。
「自分にとって、世界で一番素敵な女性」
それが私にとっては妻なのだ。
交際する時に、私はそれを強く実感した。
結局、私の恋愛が今まで奇跡的にうまくいかないことばかりだった理由を、私は「妻と巡り会うためだった」と結論した。
だから私は、今のところ妻以外の女性に色めき立つことがないのだ。
まるで「踏み絵」のように若くて煌びやかな女性たちの中に飛び込んだ結婚式。
どうやら、私は妻に対する「信仰心」を保つことができているようだ。
このまま、妻を世界で一番素敵な女性だと思いつづけて、添い遂げることができれば、それはそれで幸せなのだろう。